作成日:2021/9/12
訪問日:2021/5/16
白河の関とBRT
~2022年の夏 ついに深紅の大優勝旗は越えた~
【カテゴリ:文化・遺産】
奥州三古関
「白河の関」は、「鼠ケ関(ねずがせき)」、「勿来の関(なこそのせき)」と共に、奥州三古関として知られています(関連記事「鼠ヶ関」「勿来の関」)。特に白河の関は他の2つと比較して、「ついに優勝旗は白河の関を越えた」という言葉に代表されるように、東北全体の玄関口としも有名です。古くは陸奥への関門としてだけではなく、歌枕としても多くの歌人により詠まれてきた場所です。また義経伝説の地としても知られています。

ここで取り上げるお勧めスポットは、観光ガイドにはあまり記載されていないものの、出来るだけバスと徒歩で行ける隠れた名所を選んでいるつもりですが、かねてよりなぜこの場所に関所があったのかという関心を持っていたため、この有名な「白河の関跡」を取り上げることにしました。
関所は古来より人や物資の往来をチェックする目的として設けられてきたため、メインの街道沿い(昔でいえば奥州街道沿い、現在の国道4号線沿い)にあるものと思っていました。ところがこの白河の関跡は、白河市の中心地からバスで30分も要する場所にあり、ここが本当に昔からの関所だったのだろうかという、ほとんど疑問に近い関心を以前から抱いていたからです。この疑問を確かめるため、現地に出向きました。
白河の関跡を訪れる

旅の起点は、東北新幹線の新白河駅(もしくは東北本線の白河駅)です。クイズ番組でも時々出てきますが、この新白河駅は新幹線の駅の中で、唯一「村」(西郷村)に設置された駅です。
余談になりますが、この西郷村は1889年に発足して以来、一度も他の市町村と合併することなく独自路線を歩んできた数少ない自治体です。国が平成の市町村合併を推進した際には、その狙いとして「財政基盤の強化と行政の効率化」を掲げていましたが、西郷村では以前より財政基盤が強かったという背景がありました。その1つが、東北新幹線の新白河駅があるということでした。確かに新幹線の駅があると企業の誘致もしやすくなりますし、東京への通勤も可能になるなど多くのメリットが出てきますね。写真は新白河駅高原口(西口)です。字が小さく恐縮ですが「新白河駅がある西郷村」とアピールしていますね(笑)
そして周辺の自治体が人口減少に苦しむ中、西郷村は若い人の移住も多く、福島県の中で人口が増えているというのは大玉村と西郷村のみのようです。その秘密がどこにあるのか、機会あれば、是非、調べてみたいと思います。
なぜバス専用道路がここに?

さて話を白河の関に戻します。白河の関跡へは、新白河駅(もしくは白河駅)から約30分、バスに揺られて向かいます。
また脱線です(笑)。バスの途中で面白いものを発見しました。それはJRバス専用道路というものです。正確にいうと当日は、水郡線の磐城棚倉という駅からJRバスを使い新白河駅に向かい、その後、新白河駅から白河の関跡に向かいました。このJRバス専用道を発見したのは、磐城棚倉駅から新白河駅に向かう途中でした。思わず途中下車して写真撮影したのが右の写真です。
都会なら混雑を避けるために、バス専用レーンを見ることはありますが、このような地方(白河市の皆さんご免なさい)で、しかも専用レーンではなく、バス専用道路があるというのは驚きとしか言いようがありません。どういう経緯で出来たのでしょうか。非常に興味があります【25/10/5更新脚注②ご参照】
白河の関跡にたどり着く

さてバスに揺られること30分、白河の関跡に到着しました。予想通りの山の中です。メイン街道である奥州街道から離れたこのような所に、本当に関所があったのでしょうか。本当に人の往来をチェックしていたのでしょうか。当初の疑問は、ますます増してきました。
そこに記載されている案内によると、当初は蝦夷(えみし)の南下を防ぐための砦として設置されたようです。8~9世紀頃には、既に人や物資の往来を取り締まる記述があったようですが、10世紀には早くも歌枕としての憧景の地へ変化していたようです。
その後、約1000年の時を経て、寛政12年(1800年)、「寛政の改革」で知られる白河藩主松平定信が検証を行い、空堀・土塁が残るこの地が白河の関であると断定しました。さらに近年になり、昭和34年から5年に渡り発掘調査が行われ、竪穴住居跡や発立柱建物跡などが確認されたとのことです。このような遺跡と立地的考察から、ここが白河関跡の「条件にかなう点が多い」との結論になったようです。
十分に納得できず・・

このように完全な事実に基づいた裏付けがない状況を見ると、やはりメイン街道から遠く離れたこの地が、かつての関所とは十分に納得することが出来ませんでした。
ただこれはあくまでもロケーション的な意味での私の感覚にすぎません。改めて太政官符等の過去の文献を調べてみると、確かに一時期、「一度廃止された」、「実体としての関所が紛失していた」と読み取れる記述があるものの、古代から関所は存在していたと書かれているようでした。

なお先ほど東北新幹線の新白河駅がある村としてご紹介した西郷村の国道4号線沿いには、福島県警が通行車両などを取り締まる白河検問所があり、「平成版白河の関」と呼ばれているようです。ロケーションという意味で、「白河の関」に対する私のイメージに近いものがあります(右写真ご参照【26/4/15更新】)。
白河の関跡を境内とする白河神社は、源頼朝の挙兵を知った義経が鎌倉に向かう道中、勝利を祈願したと伝えられています。また松尾芭蕉らの俳人も多く訪れ名歌を残しました。このようなところから、「関所」の役割というよりも、「歌枕」としての印象の方が強く、そのイメージが増大していったのではと思ってしまいました。
近くには白河の関跡公園が整備されていました。売店などもあり、家族連れには絶好の憩いの場になっていました。もう1ケ月早ければ「カタクリ」の群生が見られたようで残念でした。
南湖行きとその後の珍道中

白河の関を見終えた後は、これも以前より訪れたかった「南湖」に向かいました。この公園は江戸時代に同じく松平定信によって作られたという、なんこ!(なんと!)日本最古の公園ということです。南湖を訪れた時のことについては、また別の場所でご紹介させて頂きたいと思います。
実はこの後が大変でした。以前はその地を訪れると、まず駅にある観光案内所に行き、そこで紙の地図をもらい、その地図を頼りに目的地を訪れたものです。今は地図アプリさえあれば、ほぼ全国どこでも経路案内してくれます。本当に便利な時代になりました。ただ時々、地図アプリはとんでもない経路を案内してくれます。今回も事前の調査では、南湖から東北本線の白河駅までは徒歩約30分の予定でしたが、地図アプリが示す経路を頼りに歩くと、とんでもなく遠回りをさせられてしまい、1HR以上もかかってしまいました。もし以前のような紙の地図を元にした歩きであれば、もっと早く到達していたに違いありません(関連記事「地図からMAPへ」)。
驚きの光景が

1点、驚いたことがあります。白河駅に近づくにつれ、スナック街や飲み屋などが目についたのですが、ほとんどすべての店がコロナの感染拡大防止を理由に閉まっていたということです。その時点で全国はもちろん福島県にも緊急事態宣言等は発令されていませんでした。従って自主的に店を閉めていたということになります。国や県からの補助もない状態で、コロナ禍を理由に店を閉めていたのでしょうか・・・。少し複雑な気持ちになりました。
<関連情報>
①2022年夏ついに白河の関を越えた 【22/8/25更新】
2022年夏の甲子園、ついに深紅の優勝旗が白河の関を越えました。報道等で白河の関跡を前にパブリックビューイングで応援している中継があり、そのフィーバぶりに思わず笑ってしまいました(もちろんいい意味で)。同時に、実は白河の関といえども福島県の最南端に位置しているわけではないので、もし白河の関跡より南にある福島県の高校が優勝したら、それでも「ついに白河の関を越えた」と言っていたのか、つい屁理屈を考えてしまいました。
➁JRバス専用道の正体【25/10/5更新】

2024年の夏、BRT大船渡線、BRT気仙沼線に乗車した際にBRTについて調べる機会がありました(関連記事「BRT大船渡線」)。今回遭遇した白河市にあるJRバス専用道は、かつて白河~磐城棚倉を結ぶ「白棚(はくほう)鉄道」跡であることが判りました。広い意味でBRTに分類されるようです。白棚線は1944年に運休となりましたが、地元から復活を望む声があがり、1957年にバス専用道として開業したとのことです。自称鉄道ファンとしてこのことを知らなかったのは不覚でした。別の機会に白河に出向いた際、このBRTに乗り運転手と少しお話することができました。専用道の所有者はJR東日本なので、専用道を走行したり歩いたりすることはできないとのことです。ただ近くにゴルフ場があり、時々その帰りに(誤ってか故意か不明ですが)この専用道を走行する乗用車があるということでした。
③是非、立ち寄りたい周辺のお勧め
小峰城
盛岡城、会津若松城とともに東北三名城のひとつと言われている(注:文献により定義が異なる)。天守閣相当の御三階櫓は戊辰戦争の時に焼失されたが、1991年に復元された。小峰城歴史資料館が隣接されていて、小峰城の歴史が展示されている。JR白河駅より徒歩8分
南湖
身分の差を越え誰もが憩える「士民共楽」という理念を掲げて、1801年白河藩主松平定信により開園。日本最古の公園と言われている。JR白河駅より徒歩30分。