作成日:2023/2/20
訪問日:1987/7/25
岩手山登山 ~コマクサと溶岩流の苦い記憶~
【カテゴリ:山・自然】
東北地方を旅する時に幾つかのテーマを決めていますが、そのテーマの1つが「山」です。当初は「東北百名山(脚注①ご参照)」をすべて登頂することを目標にしていましたが、現時点で半分程度しか達しておらず、残りの健康寿命を考えた場合、難しそうだと思い始めています。
東北の名峰 岩手山

その東北地方の山でも何度か登山をしたお気に入りの山があります。その代表が八甲田山であり、そして今回の舞台となった岩手山です。岩手県を代表する岩手山は、岩手県の最高峰であり、日本百名山にも選定されている名峰です。この岩手山にはいくつかの登山コースがあり、それぞれが別の表情を見せてくれるので、何度か登山しました。柳沢口や網張口などは代表的なコースです。三ツ石口や小岩井口なども有名です。そしてその日は残された「焼走り口」と「松川口」のルートから登るため、車中泊を含めて2泊3日のコースを計画しました。ところが思わぬハプニングが発生したため、初日に予定していた「焼走り口」登山は途中で断念して引き返すことになってしまったのです。
東北の山は日本アルプスのような3000m級の高い山があるわけでもなく、比較的楽に登れる山が多いのですが、私の東北登山歴の中でも登頂を断念した苦い思い出の山行きとなってしまいました。少し振り返ってみたいと思います。
急行八甲田でのハプニング

その日は何時もの通り、前夜、急行八甲田で出向きました。盛岡から花輪線に乗り換え、1日目は焼走り口から岩手山登山、その日は松川温泉に下山して一泊、2日目は松川口から岩手山に登山するという計画でした。ところが最初の急行八甲田で思わぬハプニングが起きたのです。
当時の急行八甲田の車両は昔ながらの12系客車という、4人席でかつ固定型の座席でした。私が乗ったのは、これも何時もの通り自由席だったのですが、私の前にかなり大柄の2人の男性が座りました。若干、嫌な予感がしたのですが、それもつかの間、どちらともなく話を始めました。お2人は秋田の山で働いておられるようでした。私の東北行きも相まって、特に秋田県のお勧め場所を紹介してもらうなど、話が盛り上がりました(深夜列車ということもあり、周りの目が気になりましたが)。
これだけであればよかったのですが、2人とも大変な酒豪で私にビールや日本酒をどんどん勧めてくるのです。私は決してお酒が強いわけではなく、また翌日には登山を控えていることもあり、最初は遠慮していました。ただあまりお断りするのも申し訳ないと思い、またおごりということもあり、ついつい調子に乗り、飲み過ぎてしまったのです。その日はいつのまにか眠りについたのですが、翌朝、盛岡駅を降りる時には、酷い2日酔いで、頭は痛いし吐き気はするしと、正直、登山ができるか心配な状況でした。ちなみにお2人とは盛岡駅で別れました。
焼け走り登山口に向かう

盛岡駅から花輪線に乗り換え、なんとか大更駅までたどり着き、そこから焼走り口のある焼走りキャンプ場までタクシーで行きました。ちなみに帰りは松川温泉まで走破する予定でしたので、私の旅にルールにより片道のみのタクシーはokです。焼走りキャンプ場に着いた時には頭痛もかなり収まり、これだと大丈夫かなと思い、登山を開始しましたが、大失敗でした。

なお登山口の名前にもなっている「焼走り」ですが、岩手山の東部に拡がる広大な溶岩流で、岩手山の火山活動により生成されたものです。真っ赤な溶岩流が山の斜面を駆け下る様子を見た当時の人々が、「焼け走り」と叫んだことに由来しているようです。写真の通り荒涼たる風景が広がっており、国の特別天然記念物にも登録されています。是非、機会あれば別の項でご紹介させて頂きたいと思います。

当日は焼走りキャンプ場でイーハトーブ関連のイベントがあったようです。前夜に開催されてその片付けをしていたのか、もしくは当日の夜に開催されるためその準備をしていたのか不明ですが、関係者が準備(または片付け)をしていました。ちなみにイーハトーブとは、ご存じの通り、岩手県を代表する童話作家、宮沢賢治が提唱する理想郷のことで造語です。今では岩手県の代名詞にもなっています。
登山を開始したものの・・

焼走り登山口から登山を開始しましたが、始めはまずまず快調だったものの、1時間も歩くと気持ちが悪くなり休憩、その後も15分歩いては10分休憩といった繰り返しでした。やはり昨夜の深酒がよくなかったようです。そしてあまりにも体調が悪いため、ついに途中で登山を断念しました。
恐らく全体行程の半分も到達していなかったと思います。非常に情けない気持ちになってしまいました。東北の山で初めての失敗登山です。そこで15分ほどすわりこんで、これからの予定を考えましたが、やはり元に戻ることにしました。
コマクサの群生地に出会う

その時に気付いたのですが、そこは砂礫地帯で、なんと高山植物の女王と呼ばれているコマクサが一面咲いているではありませんか。あまり高山植物に詳しくない私ですので、その場に座り込まなければ見逃していたかもしれません。夢中でシャッターを切りました。疲れ切った体と登山失敗という敗北感に打ちひしがれているところにどれだけ癒されたことでしょうか。けがの功名というか、今回の山行の唯一最大の収穫でした。
その後、焼け走りキャンプ場まで元の道を下山しました。焼け走りキャンプ場から大更駅までは、行きがタクシーでしたので帰りは歩きとしました。大更駅に着いた時は、まだ昼過ぎでしたので、当日はこれもかねてより訪れたかった松尾鉱山跡に出向くことにしました(関連記事「松尾鉱山跡」)

松尾鉱山跡を見終えたあと、松川温泉で一泊しました。この松川温泉は硫黄のにおいがたっぷりのいかにも東北らしい温泉で、八幡平や岩手山に登山する際の常宿にしていました。ここの名物料理でもある「ホロホロ鳥」はなかなかの珍味です。近くには日本初の商業ベースの地熱発電所である松川地熱発電所があり、地球は生きていることを実感できます。
その夜は本当に悔しくで、「何故、お酒をもう少し強くお断りしなかったのか」「折角入念に計画した山行きなのに」「今回で岩手山の主要なコースを制覇する予定だったのに」等など、ずっと尾を引いてあまり眠れませんでした。
再チャレンジ
当初の予定では、次の日は松川口から岩手山に登山する予定でしたが、初日の焼走り口からの登山断念があまりにも悔しいため、再度、次の日も焼走り口からトライしました。その日は、前日の断念が嘘のように一気に登山することができました。やはり初日は、急行八甲田による深酒がよくなかったようです。
東京に戻ってからもしばらくは尾を引いて、ついには急行八甲田でお会いしたお2人を恨んだりもしました。ただ今から思えば、長い目で見れば実にたいしたこともなく、すべてはいい思い出になっています。お2人との会話も楽しかったし、登山を断念しなければコマクサに気付かなかったかもしれません。東北の旅を初めて約40年、これ以外にも泣きたくなるようなこともありましたが、あまりくよくよしないことが一番かなと思える年になったようです。
溶岩流による荒涼たる風景、可憐なコマクサの群落だけが記憶に残る苦い山旅となってしまいました。
<関連情報>
①東北百名山
・1990年7月1日発行 山と渓谷社