作成日:2026/5/21
西郷村にある旧陸軍省 軍馬補充部跡
NEW!
【カテゴリ:歴史・文化】
福島県の南部に西郷村という比較的小さな村があります。今回、西郷村にある西郷村歴史民俗資料館を訪れました。この資料館は、かつて軍馬の補充部があった建物を活用した資料館と聞きました。
西郷村にある軍馬補充部跡に辿り着く

今回、次のような経緯により西郷村にある軍馬補充部跡(西郷村歴史民俗資料館)に辿り着きました。
①西郷村は1889年に発足して以来、一度も他の市町村と合併することなく独自路線を歩んできた数少ない自治体です。そして周辺の自治体が人口減少に苦しむ中、西郷村は若い人の移住も多く、微増ではありますが人口も増えています。福島県の市町村の中で人口が増えているのは大玉村と西郷村のみのようす。その理由がどこにあるのか、かねてより調べていました(関連記事「白河の関跡」)、
➁昨年(2025年)、戦後80年を機会に東北地方に残された戦争の爪痕を訪れる中で、軍馬について知る機会がありました。さらに詳しく知りたいと思い調べていました(関連記事「東北地方に残された戦争の爪痕」)
軍馬補充部とは <西郷村歴史民俗資料館資料等より引用>

軍馬補充部とは、かつては日本の陸軍省の外局の1つでした。戦争で使う馬を育てたり訓練したりすることを目的として、1874年(明治7年)に前身である軍馬局が作られました。本部は東京にあり、多い時には全国に支部が8ケ所あったようです。白河支部は明治30年に設置されました。
もともとこの地域一帯は戊辰戦争に巻き込まれて市街地の約7割が被災、復興のために馬産に力をいれていたという背景がありました。
西郷村民族資料館の建物は、軍馬補充部白河支部の事務所をそのまま活用したもので、全国的にも貴重な建物のようです。

軍馬補充部が作られた背景ですが、当時の国策によるものでした(右の写真ご参照)。1894年~1905年に勃発した日清戦争では、約25,000頭の馬が軍馬として戦争に駆り出されましたが、清の軍馬と比べて馬の質が悪いという問題がありました(人に噛みつく。ちょっとした音で騒ぎ出す。力が弱く大砲を引っ張ることが出来ない、そのため人が大砲をひかざるを得なかった 等)
これを解消するために作られた軍馬補充部では、「馬の体を大きくする」、「力を強くする」、「人間を咬まないようにする」、「大砲の音などに驚かないようにする」といった馬の質の改良が進められました。
また馬の質の改良だけではなく、馬のえさの栽培や馬に付ける蹄鉄の作成など馬に関するすべてのことが行われていたとのことです。

ここ白河支部は宮城県から栃木県までを管轄していて、最盛期には西郷村の面積の1/4近くを軍馬補充部が占めていたようです。常時1,000頭近い馬が訓練されていて、戦地へ送りだされた馬はのべ1万頭にもおよんだという記録が残っているようです。
また軍馬補充部で働く人はほとんどが西郷村民だったようです。このように軍馬補充部は西郷村の経済全体に大きな影響を与えていました。
1945年に陸軍省廃止に伴い軍馬補充部も解散となりました。解散後は、いろいろな団体に利用されていましたが、平成4年からそのままの形で西郷村歴史民俗資料館となりました。
なお平成9年に西郷村歴史民俗資料館は西郷村指定文化財に登録されました。
西郷村歴史民俗資料館にある軍馬補充部跡を訪れる

かつての戦争の爪痕を確かめるために、西郷村歴史民俗資料館にある軍馬補充部跡を訪れました。旅の起点は東北新幹線の新白河駅です。
少し余談になりますが、前述の通り西郷村は1889年に発足して以来、一度も他の市町村と合併することなく独自路線を歩んできた数少ない自治体です。特に平成になってから国は「財政基盤の強化と行政の効率化」を掲げて、いわゆる平成の市町村合併を推進してきました。ただ西郷村では以前より財政基盤が強かったという背景があったため、どこの市町村とも合併をしませんでした。調べて見ると、確かに自治体経営力ランキングでは常に上位にあり、2024年度は3位、2021年度はなんと1位だったようです(「自治体四季報」より)

そしてこの安定した財政基盤の1つが、東北新幹線の新白河駅があるということのようです。クイズ番組でも時々出てきますが、この新白河駅は新幹線の駅の中で、唯一「村」(西郷村)に設置された駅なのです。
確かに新幹線の駅があると企業の誘致もし易くなりますし、東京への通勤も可能になるなど多くのメリットが出てきますね。右の写真は新白河駅高原口(西口)です。字が小さく恐縮ですが「新白河駅がある西郷村」としっかりアピールしているようでした(笑)。

さて西郷村歴史民俗資料館は、新白河の駅からは4.7km、徒歩で約1時間10分のところにありました。
資料館は4つの展示室と特別展示室に分かれていて、第1展示室では生活の衣食住関係、第2展示室ではかつて西郷村で盛んであった養蚕関係、第3展示室では農具等、第4展示室では西郷村で見つかった土石器や古文書などが展示されていました。博物館マニアの私としてはすべてご紹介したいところですが(笑)、ここでは特別展示室に展示されている軍馬補充部跡関連を中心にご紹介させて頂きます。

特別展示室には軍馬補充部に関する道具や資料が展示されていました。軍馬補充部の資料の多くは戦後焼却処分されたようですが、当時、軍馬補充部で働いていていた方からの寄贈があったようです。
資料としては、軍馬補充部の組織図や各支部の写真、軍馬補充部の役割などが展示されていました(一部は本ページにも掲載しています)
道具としては以下のようなものが展示されていました。
・鼻ねじり:馬がいうことを聞かない時に、ひもを鼻にかけてねじり、その痛みのために馬が暴れるのを鎮めたようです。想像するだけで可哀そうになってきますね。
・クシ、爪切り:馬の手入れをするときに使われたようです。
・体温計:これは日々、馬の体調管理に使われたのでしょうか

決して多くの数ではありませんが、いずれも歴史の証言とも言える非常に貴重なものであると思いました。これらの道具を見ていると、一万頭ものごく普通の馬に対して、戦場で使える訓練と躾を行った上で戦場に送りだす、当時の関係者のご苦労が如何ほどだったかと思います。
その訓練についても、「馬の体を大きくする、力を強くする」は人間の筋トレにも通じるところがありなんとなく想像つきますが、「大砲の音などに驚かないようにする」というのはどういう訓練がされていたのでしょうか。鼻ねじりの道具のように、毎日のように大音量を出し続けて馬が驚かないようにしたのでしょうか。

一方、こうした人間の都合により体質を変えられた上に戦場へ送りこまれた軍馬自身も戦争の犠牲者だったに違いありません。資料によると戦場に送り出された軍馬のほとんどは現地で命を失ったようです。
この種の戦争の爪痕を訪ねるたびに毎度思うことは、やはり戦争についてまだまだ知らないことが多いということです。昨年2025年が戦後80年ということもあり、東北地方に残された戦争の爪痕を訪れましたが、戦争について初めて知ったことが数多くありました。今回も軍馬補充部という組織があったことは初めて知りました。80年を過ぎた2026年以降も戦争の爪痕を辿る旅を続けていきたいと思います。
関連記事「東北地方に残された戦争の爪痕」

当時、幾つかの軍馬補充部の支部があったようですが、建物とともに現存しているのはこの西郷村にある白河支部だけのようです。是非、この戦争の爪痕を何時までも残してほしいものです。
それにしても当初から「補充」という言葉には、何か物の補充(例えばプリンタのインクの補充)を思い起してしまい、大変な違和感を覚えていました。恐らく戦場では馬はあくまでも道具であり、現地で馬が死に絶えたとしても次から次へと新しい馬が送り込まれていた(補充されていた)に違いありません。
名前だけでもそれに適したものであれば馬も浮かばれると思い少し考えてみました。今回見た内容からは「軍馬育成所」という名前がぴったりではないかと思いましたが、こんなこと今更言っても仕方ありませんね。

なお西郷村郷土資料館の見学には事前の予約が必要です。当日は私1人のために西郷村の職員の方には申し訳ないと思うほど丁寧に説明を頂き大変にお世話になりました。
ちなみにご応対頂いた職員の方に西郷村の人口増の背景についてお伺いしてみたところ、やはりアクセスの良さをあげておらました(東北新幹線の駅以外にも東北自動車道や国道4号線などの幹線が通っていること、さらに福島空港から近いことなども挙げられていました)
そして再び約1時間の道のりを歩いて新白河駅まで戻りました。
なお最初、気づかなかったのですが、新白河駅前には日本中央競馬会の場外馬券売り場(WINS)がありました。なぜここにWINSがあるのでしょうか。かつてこの地が、馬産が盛んであったこととは関係ないと思いますが・・
<関連情報>
①