作成日:2026/2/1    

訪問日:2025/12/23

 

大川小学校の震災遺構を訪れる

 

【カテゴリ:文化遺産】


 2025年の年末に宮城県の石巻市に出向きました。最大の目的は震災遺構である大川小学校跡を訪れることでした。 

 

関連記事「3.11被災地跡を歩く」

 

2010年の記憶と翌3.11の大震災

石巻川開き(2010年撮影)
石巻川開き孫兵衛船競漕(2010年撮影)

  実は石巻には大変につらい思い出があり、3.11以降、足が遠のいていました。最後に石巻を訪れたのは、2010年の夏です。その時は青森から始まった東北を巡る旅も、秋田、岩手、山形、宮城を一通り廻り、いよいよ次の年(2011年)から福島に進出しようとしていました。そして2010年の夏は、松島、塩竃、石巻といった沿岸地帯の夏祭りを廻りました。特に石巻は花火大会を始めとした石巻川開き祭り、孫兵衛船競漕、石ノ森漫画館などで丸々2日間を過ごしたことを覚えています。右の写真は、石巻川開きで恒例となっている孫兵衛船競漕を撮影したものです。

石巻駅
石巻駅(2010年夏撮影)

  ところが翌2011年3.11に東日本大震災が発生し、石巻を始めとしてその前年に歩いたばかりの宮城県沿岸地区が津波による被害を受けてしまいました。壊滅状態になった映像を見た時は大変にショックを受けました。特に石巻市大川小学校の惨劇は、親戚等に同年代の子供がいたこともあり、人ごととは思えないショックを受けました。

 

 そういえば栗駒山中の秘湯を訪れた翌年に震度6強の「岩手・宮城内陸地震」が発生して、訪れた秘湯が堰止湖に水没したこともありました。自分は疫病神ではないかと思ったこともありました(関連記事「失われた秘湯 

鹿又駅
最寄りの駅である石巻線の鹿又駅

  是非、大川小学校跡を訪れて犠牲者のご冥福をお祈りしたいと計画していましたが、なかなか実現出来ませんでした。一番大きな理由は、最寄りの駅から大川小学校までが遠く、アクセスが不便であったことです。地図で調べたところ、最寄りの駅と思われる石巻線の鹿沼駅から16kmも離れています。いくら歩きに拘っているとはいえ、さすがに徒歩で行ける距離を超えています。

  ところが最近になって、コミュニティバスを使えば近くまで行けることがわかりました。これについては後でご説明させてもらいます。

 

 今回、震災15年を機会に大川小学校を訪れました。なお石巻には漫画美術館、運河閘門、石巻市博物館なども合わせて訪れましたが、別のページでご紹介させて頂きたいと思います。


大川小学校の惨劇 

津波発生時刻を示す時計(震災伝承館)
津波発生時刻を示す時計(震災伝承館)

  石巻市釜谷地区にあった大川小学校は、3.11の東日本大震災の時に発生した大津波によって、全校児童108人のうち7割にあたる74人が死亡・行方不明となりました。地震が発生した14:46の約40分後の15:25に避難を開始したものの、その約10分後の15:37に押し寄せてきた高さ9m近くにもなる大津波に巻き込まれてしまったのです。丁度、児童が下校準備をしていた時であったため、一部の児童は迎えにきた家族と一緒に帰宅しましたが、校庭に残った児童が悲劇に見舞われたとのことです。また学校にいた教職員11名のうち助かったのは1名だけでした。この大川小学校の悲劇は、東日本大震災による学校災害の中で最大規模の災害とのことです。

津波発生時刻を示す時計(震災伝承館)

  考えてみれば東日本大震災というあまりの巨大災害の中の事故とはいえ、74名もの児童が犠牲になったのです。平時であれば超特大のニュースになるような大惨事です(丁度、太平洋戦争の末期に沖縄から学童疎開中に、とから列島沖で米潜水艦により撃沈され、学童784名を含む1484名もの犠牲が発生した対馬丸の惨劇のように)。石巻市自体も死者・行方不明者合わせて4000人近くの犠牲者があり、最も甚大な被害を受けた市町村の1つでした。 

事故の原因

大川小学校(震災遺構)
大川小学校(震災遺構)

  これだけ多くの犠牲者が発生した要因は複合的なものがあるようです。事前に調べた内容、当日現地でお聞きした内容などをもとにすると以下のようですが、もちろん私自身、当事者でもなく、下記の内容はあまりにも第3者的な記述になってしまっていることをご了承ください。

 

①大川小学校のあった石巻市釜谷地区は北上川の川沿いではあるものの、河口から約4km離れたところにあり、ここ300年以上も大きな津波が到達した記録もなかったこと、むしろ大川小学校自体が浸水しないことになっていたため避難所に指定されていたこと。そのため学校関係者、行政含めて危機意識が欠けていたことが大きな背景的要因のようです。

判決(震災伝承館)
判決(震災伝承館)

➁直接的要因は、当日大津波警報が出された際、裏山に登るのは足元が悪いため北上大橋のたもとを目指したことのようです。当時の市の防災マニュアルによると、津波対策は「高台に登る」としか記されておらず、その実施は各学校に任せられていたようです。

 

③もう1つの直接的要因は、当日、校庭で点呼を取った後、津波が押し寄せるまでの間、40分間の空白のような時間があり、この時の対応が問題だったようです。

 

 事故発生後、関係者の聞き取りを終えた市の教育委員会は、約1ケ月後に保護者向けの説明会を行ったものの、「当日の対応の是非」、「なぜ高台に避難しなかったのか」「そもそもなぜ保護者への説明が1ケ月後なのか」「なぜ大川小学校だけがこれだけの犠牲を出したのか」などとても納得できないという声が大勢を占めたようです。

 

 その後、遺族が市と県を訴えた損害賠償請求訴訟では、学校側の組織的な過失が認められました。平時からの防災対策の不備が認定され、市と県に賠償が命じられ、2019年に判決が確定しました。自然災害に対する学校側の安全確保義務と組織的責任を問うもので、教育関係者へ大変に大きな影響を与えることになりました。 


大川小学校を訪れる

雄勝地区住民バス
雄勝地区住民バス(鹿又駅)

  2025年最後の東北の旅として石巻にある大川小学校に出向きました。最寄りの駅である鹿又駅から16km離れていることもあり、当初、行きはタクシーを使い、帰りは徒歩で戻ることを予定していましたが、近くの雄勝地区の住民バスがあることがわかりました。以前にアクセス方法を調べた時には見逃していたのでしょうか、もしくは最近になり運行を始めたのでしょうか、いずれにしてもこのバスを使えば大川小学校の近くまで行けることがわかりました(雄勝地区住民バス)

 

 1日わずか5本、しかも平日のみの運行ですが、16kmも歩くことを思えば十分な本数です。ただ地元の方のためのコミュニティバスです。一応、乗車する際、よそ者である私が乗車してよいか確認しましたが、快く乗せてもらいました。 

ヨシの群生地
ヨシの群生地

  バスで北上川沿いを走ること約25分、釜谷入口というバス停が最寄りのバス停になります。バスで25分の距離です、やはりとても歩いてはいけませんでした。ちなみに料金は300円でした(2025年12月時点)。16kmの距離を歩くかまたはタクシーに乗ることを思えば本当に助かりました。

 

 なおバスは北上川沿いを走行しますが、川沿いに日本有数のヨシの群生地を見ることができました。風に揺れる音や水鳥の鳴き声は環境省が選定する「日本の音風景100選」に選ばれているようです。ただ残念ながらバスの中からは聞きとることが出来ませんでした。

大橋
大橋

  バス停は大川小学校より少し小高いところにありました。バス停の近くに北上大橋があり、恐らくこのあたりが、震災当日、裏山ではなく避難先として選んだ北上大橋のたもとのようです。これも第3者的な意見になってしまいますが、確かに少しだけ高いところにはあるものの、それほど高いものではなく、これではとても押し寄せる大津波を防ぐものではなかったと悔やまれます。 

左側の渡り廊下が津波によりねじり曲げられている
津波によりねじり曲げられた校舎

  バス停から大川小学校跡に向かいます。大川小学校は現在では震災遺構になっており、校舎に入ることはできません。校庭とそこから見る校舎、近くにある震災伝承館を見学することになります。

 最初に持参してきた花を献花台に供えて犠牲者のご冥福をお祈りしました。事前に調べた際、献花台があると聞いていましたが、震災後、15年経過した今でも多くの花が供えられていました。なお安全面からご焼香はお断りのようです。

 

 右の写真は旧校舎です。左手にあるのは体育館との渡り廊下ですが、下りになっているのではありません。津波の力により押しつぶされてしまったのです。このようにコンクリートの塊をも押しつぶすとは改めて津波の恐るべきパワーを感じます。しかも震災当日、児童たちは前面からこの津波を受けたとのことです。コンクリートさえ潰すような強大なパワーに直面した児童の恐怖はいかばかりだったかと胸が痛みます。

小学校校庭
小学校校庭

  近くにある震災伝承館では、地震発生から大津波が到達するまでの状況、震災時の写真やパネル、この地域の被害状況などが展示されていました。職員の方に当時の状況などについていろいろお聞きすることができました。いまだに遺体が見つかっていない児童も多くいるとのことです。今でも冷たい海または土の下で救助を待つ子供たちの寂しさを思うといたたまれない気持ちになります。

 

 なお私が行った時は、丁度近くにある大学の学生が見学に来ており、職員による説明に熱心にメモを取っていました。事前に予約をすると詳細な説明を頂けるようです。

 そしてなんとこの近辺にも熊が出没するようです。震災伝承館の入口には熊注意の張り紙が出されていました。

戻りのバスで思ったこと

釜谷入口バス停
釜谷入口バス停

  戻りのバスの時刻の制約から大川小学校には2時間ほどしか滞在できませんでした。当事者でもない私が災害の原因や責任について批評めいたことを申し上げるつもりはまったくありません。とにかく

①まだ見つかっていない児童の遺体を早く発見して親元にお返ししてあげたい。

➁今回の教訓を次に生かしたい。

という2点を願うばかりです。

 ➁については、特に最近、震度6~7クラスの大地震が全国で頻発しています。南海トラフや首都圏直下型地震も想定されています。今回の悲劇の教訓をどのように生かすのか、判決文に示された対応は進んでいるのでしょうか。

 学校の安全対策はもちろん、不備であったとされる危機管理マニュアルの見直し、何かあった時の一瞬の判断など、残されたものとして、その時に向けた準備を進める必要があると思います。災害が発生してから、あれは想定外の規模であったと言うことがないように。

 

 そして再び雄勝地区住民バスに乗り石巻の市街地に戻りました。石巻市内の賑わいを見ると、大川小学校での2時間が、まるでそこだけが時間が止まったような、どこか幻想の中にいたのではないか、そんな感覚に陥るような鎮魂の時間でした。



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3.11被災地跡を歩く