作成日:2026/3/15

訪問日:2026/1/29

 

モシリュウと宮沢賢治

~日本で最初に恐竜が発掘された茂師海岸を歩く~

 

【カテゴリ:文化・遺産】


 大変にお恥ずかしい話ですが、これまで東北地方に何度も足を運んできたつもりでしたが、日本で最初に恐竜の化石が発見されたのは岩手県の沿岸であることを最近になり知りました。日本で恐竜の発掘といえば、北陸地方、特に福井県が多いため、てっきりあのあたりがメインどころとばかり思っていました。早速、現地に出向くことにしました。そしてなんと半世紀も前に宮沢賢治がその小説の中で、恐竜の発見を予言していたような記述を知ることができました。

茂師海岸で発見された恐竜「モシリュウ」

 

モシリュウ発見の地
モシリュウ発見の地

  最初に日本で初めて発見された恐竜の化石について振り返りたいと思います。恐竜の化石が発見されたのは、1978年岩手県の岩泉町にある茂師海岸というところです。発見されたのは竜脚類の上腕骨の一部で、発見された場所に因んで「モシリュウ」と呼ばれています。

 この竜脚類は後期三畳紀に南米に出現して、前期ジェラ紀から白亜紀末にかけて繁栄しました。非常に長い首と小さい頭を持つところに特徴があり、草食性で四足走行、地球史上最大の陸生脊椎動物と言われています。

モシリュウの骨(国立科学博物館)
モシリュウの骨(国立科学博物館)

  現在、モシリュウの骨は、上野にある国立科学博物館に保管・展示されています。右の写真は国立科学博物館に展示されているものです。

 なおご参考までに、岩手県立博物館、三陸鉄道の岩泉小本駅構内にもモシリュウの骨のレプリカが展示されているとのことです。

 

 ちなみに「モシリュウ」は正式な学名ではないようです。国立科学博物館に問い合わせてみたところ、保存されている部分が乏しいため、竜脚類である以上の詳しい分類は不明(竜脚類の未同定種)ということに留めているということでした。すなわち種まで同定できていないため、正式な学名(例えばティラノサウルスの場合のTyrannosaurus rexにあたるラテン名)は付けられていないとのことでした。

宮古層群説明
宮古層群説明(三陸鉄道「小本岩泉駅」構内にて)

  モシリュウを発見したのは国立科学博物館の方と東京大学の名誉教授です。茂師海岸のあたりは、宮古層群(右写真ご参照)と呼ばれる前期白亜紀の海成層が分布している地域で、アンモナイトや二枚貝など良質保存の化石が出ると言われてきました。右の写真は三陸鉄道「岩泉小本駅」の構内に展示されていた宮古層群に関する説明文です。実際、お2人は恐竜以外の調査のために現地を訪れたものの、偶然のタイミング(後述ご参照)で恐竜の骨を発見されたようです。

 

 ご存じの通り恐竜は約2億年以上前に現れて、約6500万年前に忽然と姿を消した陸生の爬虫類です。日本では中世代の陸地の地層が少ないため、それまで日本では恐竜は見つからないだろうと言われていました。ところがこのモシリュウは海に堆積した地層から発見されたのです。先ほど「偶然のタイミング」と書きましたが、このモシリュウは川沿いで死んだあと、海まで川に流されてきて偶然に発見されたものと言われているためです。

幸運だったモシリュウの発見(国立科学博物館)
幸運だったモシリュウの発見(国立科学博物館)

  さらに偶然は重なります。右の写真はこれも上野にある国立科学博物館に展示されていた、発見当時の状況について書かれたパネルです。それによると、崖が崩れたことによりそれまで埋もれていた恐竜の骨が姿を現したとのことです。もう少し後のタイミングであれば、崖と一緒に崩れて流されてしまっていたであろうとも書かれています。なんと奇跡とも言えるような偶然でしょうか。

 ただそれまで日本では恐竜の骨は出ないと言われていたため、これが恐竜の骨と断定されるまでには時間を要したとのことです。

 モシリュウの発見をきっかけに、日本にも恐竜が生息していたことがわかり、発掘が本格化して日本各地で恐竜が発見されるようになりました。特に福井、富山、石川、岐阜県などで多く発見されています。これらの地域は手取層群(約1億8000万年~1億2000万年前)と呼ばれる中世代中期ジェラ紀から前期白亜紀にかけての地層で、恐竜以外にも多くの化石が発掘されることで知られています。

 こういったことから、モシリュウは日本で初めて恐竜の化石が発見されたという学術的に重要な意味を持つと同時に、その後の恐竜発掘の引き金になったといえそうです。

茂師海岸に出向く

 

三陸鉄道 小本岩泉駅
三陸鉄道 岩泉小本駅(小本津波防災センター)

  そのような日本で最初に恐竜の化石が発見された茂師海岸に出向きました。旅の起点は三陸鉄道の岩泉小本駅です。

 この岩泉小本駅は、三陸鉄道開業当初は小本駅という名前でした。元々、JR山田線の茂市駅と岩泉駅を結んでいた岩泉線がいずれ小本駅まで延伸する予定で、岩泉~小本間をJRバスが営業していました。ところがその後、2014年に岩泉線が廃線になってしまいました。このままでは「岩泉」の名前の付く駅が消えてしまうため、岩泉町の要望により2015年に岩泉小本駅と改称されたとのことです。

 ちなみに岩泉町は東京23区の1.5倍もの面積があり、本州で最も広い町として知られています。

恐竜発見の地
恐竜発見の場所(岩泉町)

  恐竜発見の場所は岩泉小本駅より2.9km、徒歩で約40分のところにありました。陸中海岸の幹線道路である国道45号線から少し山道に入ったところに寂しく標柱と説明文のみがありました。日本初の恐竜の化石発見の地ですから、もう少し大々的な案内があるものと思っていました。

 実はこの標柱を見た時に、かつて同じ道を歩いたことを思い出しました。恐竜発見の場所からさらに15分ほど山を登ったところに三陸海岸屈指の名所「熊の鼻展望台」があり、そこに行ったことがあったのです。そこでは忘れられない出会いがありました。初めてカモシカを間近で見た所でした(熊の鼻展望台とカモシカとの出会いについては、下記「関連情報➁」をご参照頂ければと思います)。

恐竜発見の地
恐竜発見の地にて

  さてモシリュウ発見の現地での案内を見ると、発見の経緯や発掘の状況などが記されていました。それによるとモシリュウは中国で発見された「マメンチサウルス」の近親であるということです。マメンチサウルスは巨大な体を四本足で支え、10m以上もある首を伸ばして木の葉などを食べていたようです。長い尾は敵を追い払うのに役立ったのではと書かれていました。

 当時はまだ日本海が生まれていなかったため、大陸と地続きでした。大陸から群をなして移動するうちに一頭が倒れ、その骨の一部が川に流れて偶然に発見されたことになります。なんという奇跡でしょうか。

恐竜発掘の地にて
恐竜発掘の地にて

  ここまで考えると少し疑問が出てきました。今回発見されたモシリュウの化石は1片だけだったのでしょうか。どこかで倒れて、その後、川に流れて茂師海岸に辿りついたのであれば、それ以外の骨はどこか近辺の別の場所に埋もれていないでしょうか。

 どうもモシリュウのことを調べているうちに、モシリュウにはまってしまったようです(笑)。再度、上野の国立科学博物館に問い合わせてみました。

 ご参考までに以下は国立科学博物館からの回答です。なるほど理解しました。

恐竜発掘の地にて
恐竜発掘の地にて

  「はい、この1点だけです。竜脚類は陸上に生息していましたが、この標本は海でできた地層で見つかっています。そのため、この標本は生息場所からかなり離れた場所まで流された後で堆積物(海底の砂)に埋もれたと考えられます。その埋まるまでの過程では、皮膚や筋肉が腐り、関節が外れて骨がバラバラになったりその骨が壊れたりしたと考えられます。そのため、おそらくこの恐竜一体の骨の中で保存されたのはこの骨一つであり、近辺の地層を探しても他の骨が残っている可能性はかなり低いと考えられます。逆に、1個体に由来する骨がある程度まとまって発見されるのは、生息場所からそれほど遠くないところで堆積物に埋没した場合が多く(例外もありますが)、それは例えば当時の河川やその周りにできた氾濫原の堆積物で保存された場合などが当てはまります

茂師かしたら宮沢賢治からの贈り物?

 

茂師海岸
茂師海岸

  さて右の写真は茂師海岸にあった案内図ですが、ここに書かれている「宮沢賢治の予言」が気になり、帰宅後、調べてみました。なんと半世紀も前に宮沢賢治がその小説(「楢の木大学士の野宿」)の中で、恐竜の発見を予言していたような記述があることを知りました。よく先人への畏敬への念として、無理やりこじつけて宮沢賢治が予言していたことにするというレベルではなさそうです。(関連情報①ご参照)

 

 それにしてもそれまで日本には恐竜の骨は見つからないと言われていた中、たまたま大陸から渡ってきたマメンチサウルスの仲間が、この近くで倒れ、その骨が茂師海岸に流れてきた、そして奇跡ともいえるタイミングにより発見され、その後の日本における恐竜発掘の引き金となったことになります。

 モシリュウの発見がなければ、依然として日本には恐竜がいなかったという定説が続いていたのでしょうか。奇跡のような発見のタイミングを考えると、少し大げさですが、モシリュウの骨が宮沢賢治からの贈り物のように思えてきました。



<関連情報>

旧盛岡高等農林学校本館
旧盛岡高等農林学校本館

①宮沢賢治の小説「楢の木大学士の野宿」

 宮沢賢治の小説「楢の木大学士の野宿」について概略が書かれている記事がありましたので読んでみました。驚きました。半世紀後1978年の恐竜発見を予言するようなストーリなのです。この中では、宝石学者の楢の木大学士が良質の宝石を求めて東京から岩手県に出かけます。3日間にわたり探したあげく当初の目的がわからなくなり、3日目には「白亜紀の爬虫類の骨」を探しにきたと思い始めます。そして次の日に海岸を探していくうちに恐竜が出てきて喰われそうになるという夢を見るというものです。

 岩手の海岸といい、白亜紀の爬虫類の骨や恐竜といい、先人への畏敬への念として、よくある無理やりこじつけて宮沢賢治が予言していたことにするというようなレベルではなさそうです。ご存じの通り、宮沢賢治は盛岡高等農林学校に在籍していたことがあり、地質学や土壌学などを研究していました。茂師かしたら岩手県の海岸での恐竜発見を予想していたのかもしれないですね。

➁是非、立ち寄りたい周辺のお勧め

<熊の鼻展望台>

茂師海岸
熊の鼻展望台(1989年撮影)

  恐竜発見跡からさらに15分ほど山を登っていくと、陸中海岸屈指の景勝地「熊の鼻展望台」があります。写真は1989年に撮影したものです。例により稚拙な撮影技術のためわかりづらいですが、対岸の半島が熊の頭と鼻先に似ているところから名付けられました。岩泉小本駅から3,5km徒歩で約55分です。

 そして熊の鼻展望台に向かう途中、初めてカモシカを間近で見ることができました。左手の山の方から音がするので見上げてみるとカモシカがいたのです。右下写真の真ん中あたりです。恐らくシカ(ニホンジカ)ではなく天然記念物のニホンカモシカに違いないと思うのですが、こんなに近くで見るのは初めてです。じ~とこちらを見ているので、私もじ~と見ていましたが、全く逃げようともしませんでした。カモシカは人を見ても逃げないと言われていますが、正直感動しました。

カモシカに遭遇(1989年撮影)
カモシカに遭遇(1989年撮影)

  それにしても36年前は、モシリュウ発見の場所を通ったにも関わらず、素通りしたことになります。その頃の関心事は、自然や温泉、秘境等といったもので、36年前の時は熊の鼻展望台に行くことしか考えていませんでした。そのためこういった文化遺跡には全く見向きもしませんでした。歳をとり、旅を重ねると随分と関心のあるテーマも変わってしまったようです(関連記事「変わりゆくテーマ」