作成日:2022/6/18
訪問日:2022/5/15
怪獣とマラソンの街 須賀川
~2人の偉大な円谷を生んだ街を歩く~
【カテゴリ:自然、文化・遺産】
須賀川が生んだ2人の偉大な円谷
2人の円谷(つぶらや)と聞いてピンとくる方は、失礼ながらそれなりのご年配の方に違いありません。1人が怪獣映画の特撮で有名な円谷英二、1人が1964年に開催された東京オリンピックのマラソン競技で銅メダルを獲得した円谷幸吉です。

円谷英二については、小さい頃にゴジラやモスラの怪獣映画を見たこと、円谷幸吉については、東京オリンピックのマラソンで競技場に入った時は2位だったものの、競技場内で抜かれて銅メダルになったこと、その後、国民の期待を背負うことになり、最終的に自ら命を絶ってしまったことしか知りませんでした。偶然、円谷という同じ苗字ではありますが、そのような2人の偉大な円谷を生んだ街が、今回訪れた福島県の須賀川市です。
須賀川市は、2013年にウルトラマンの故郷「M78星雲 光の国」と姉妹都市の連携を行い、仮想都市「すかがわ市M78光の町」を作り出すという念の入りようです。もちろん「M78星雲 光の国」自体も仮想の都市です。
以前よりそのようなユニークな取り組みをしている須賀川市を訪れたいと思っていました。丁度、建設中の円谷幸吉記念館が令和3年秋に完成予定と聞き、その完成を待って訪れました。そして須賀川の街並みを歩く中で偶然に見つけたかつての名画伯のこと、そしてその子孫は・・・驚きの事実を知ることが出来ました。また牡丹の開花の見ごろであったため、市内にある牡丹園にも訪れ見所満載の1日になりました。
須賀川を訪れる

旅の起点は東北本線の須賀川駅です。須賀川市の歴史は古く、江戸時代には白河藩領として、奥州街道の宿場町として栄えていました。松尾芭蕉が奥の細道の旅で、須賀川の宿に8日間も滞在したことでも知られています。福島第2の都市である郡山に近いことや福島空港も近くにあることなど、郡山のベッドダウンとして発展しております。
さて須賀川の駅を降りると、駅前には早速、ウルトラマンのモニュメントがありました。私が降りた時には、モニュメントの前でお子さんがポーズを取って写真撮影をしている微笑ましいシーンに出あいました。駅前だけではなく、街中、いたるところに怪獣のモニュメントがありました。さすが怪獣の街です。
円谷英二を知る

まず、円谷英二関連の施設を訪れました。円谷英二を詳しく知ることが出来るのは、須賀川駅から徒歩約15分のところにある「須賀川市民交流センターtette」内の「円谷英二ミュージアム」です。
実は円谷英二については、怪獣映画やウルトラマンの監督という漠然としたイメージしか持ち合わせないまま現地に出向いたのですが、そこで見た文献によると、元々は戦前から戦争映画などを請け負っていたようです。
その後、アメリカ映画「キングコング」の特撮に大変な衝撃を受けました。しばらく眠ることができなかったと言われています。これを機会に円谷英二は特撮にのめりこみ始めるのですが、当時の映画界は時代劇が中心で、日本映画には特撮は不要と言われていました。これを覆したのが、1942年に公開された戦争映画「ハワイマレー沖海戦」と言われています。リアリティに拘る円谷英二には多くのエピソードが残されていますが、特にこの「ハワイマレー沖海戦」の中での真珠湾攻撃の特撮シーンは、あまりのリアルさのため、戦後、GHQが記録フィルムと勘違いしたという逸話が残されています。

円谷英二の名声は徐々に高まり、戦後、1954年日本発の本格的怪獣映画「ゴジラ」の特撮を担当して、一躍、円谷英二の名前は知られるようになりました。その後、「特撮の神様」と呼ばれるようになり、テレビにも進出して、ウルトラマンを生むことになります。
ただ円谷英二はこれらの怪獣映画やウルトラマンの監督と思っていましたが、監督は別にいて、円谷英二は特撮の監督だったようです。そのあたりの経歴が「円谷英二ミュージアム」に詳しく展示されていました。印象に残っているのは、「プロなら不可能があってはだめ」という円谷英二からプロ意識を学んだ展示でした。

tetteの周りには、円谷英二資料館、円谷英二記念碑などがあり、たっぷりと時間を過ごすことが出来ました。円谷英二資料館では、昔ながらのおもちゃが数多く展示されていました。
須賀川市の郊外には、実際に撮影で使用したミニチュアなどの資料が展示されている「特撮アーカイブスタジオ」があります。当初の予定ではそこにも立ち寄りたいとは思っていましたが、駅から車で20分というアクセス情報を見て、これは歩いてはいけないと思い断念しました【2025/11/25更新(脚注①ご参照)】

円谷幸吉を知る

円谷幸吉は日本の陸上競技の長距離選手で、1964年に東京で開催されたオリンピックのマラソン競技で銅メダルを獲得しました。
小さいころからその才能は注目されていて、トラック競技で好記録を連発していました。初めてマラソンに挑んだのはなんと東京オリンピックが開催された1964年の3月だったようです(ちなみに開会式は1964年10月です)。この時に好記録を出し、わずか3週間後の最終選考会で2位となり、1位であった君原選手と東京オリンピックのマラソン選手に選ばれました。さらに10,000mの代表にも選ばれています。

私は陸上競技の専門家ではありませんが、現代の常識からは考えられないのではないでしょうか。
・オリンピックの開催年に実施された選考レースで初マラソンを走り、さらにわずか3週間後に再度、マラソンを走り好成績を収める。そしてそのまま代表となり、本番では銅メダルを獲った。
・さらにマラソンだけではなく10,000mの代表にも選ばれ、本番では6位に入賞した。
後にも先にも10,000mとマラソンでダブル入賞したのは、円谷幸吉だけのようです。なにより現在では、選手の体調管理の観点から、マラソンと10,000m両方にエントリさせてもらえないのではないでしょうか。本当に偉大な長距離選手でしたが、東京オリンピックマラソン終了後のインタビューで、次のオリンピックでは銅メダル以上の成績を残すと宣言して、自ら大きなプレッシャを背負うことになりました。
オリンピック終了後、しばらくはメディアに引っ張りだことなり、忙しい日々を送ることになります。加えて持病の腰痛の悪化などもあり、満足な成績が残せなくなり、ついに次のオリンピックが開催される1968年の年開けに自らの命を絶ってしまったのです。ご両親にあてた遺書などを読むと胸が熱くなるものがあります。
そのような円谷幸吉に関する展示品が、郊外のアリーナに新しく出来た円谷英吉記念館に展示されています。
亜欧堂田善(あおうどうでんぜん)との出会い

円谷幸吉記念館へ向かう途中に大変な掘り出し物に出会うことが出来ました。私はその地方を訪れた際、そこの地域を詳しく知るために、必ず民俗資料館/博物館類の施設を訪れることにしています。今回も須賀川市立博物館に立ち寄ったのですが、丁度、亜欧堂田善の企画展が開催されていました。お恥ずかしい話ですが、実はその時まで亜欧堂田善を知りませんでした。ただ大変に素晴らしい絵画であったため、30分ほどの所要時間の予定が、1時間近く長居してしまいました。
亜欧堂田善は江戸時代後期の洋風画家で、生まれは現在の須賀川市です。幼少の頃からその才能は注目されていましたが、寛政の改革で有名な白河藩の藩主松平定信の目に留まることになり、銅版画に多くの作品を残しています。ちなみに「亜欧堂」という名前は「亜細亜、欧州の両大陸を目前に見る心地す」とその作品を評した松平定信が与えたものと言われています。私は美術の専門家ではありませんが、ここで展示されていた精密、巧緻な銅版画は、そのペンタッチが素晴らしく、思わず見入ってしまうものでした。
驚きの事実を知る
自宅に戻り、改めて亜欧堂田善について調べたところ、なんと亜欧堂田善は、今回取り上げた円谷英二の祖先ということがわかりました。一概には信じられませんでしたが、念のため円谷英二側からも調べて見ると、その手記の中で、「自分の繊細な手練は先祖譲りだ」と書かれていました。どうも子孫というのは本当のようです。
今回は企画展として展示されていましたが、大変に見応えのあるものでした。時々、亜欧堂田善の展示は行っているとのことですので、是非、ご覧になることをお勧めします。
須賀川の街並みを歩く

詳細は省略しますが、牡丹園にも出向きました。見ごろを少し過ぎていましたが、遅咲きの牡丹を見ることができました。見ごろを過ぎていたということで、入園料500円を400円に割引にして頂いたというおまけ付きです。
2人の偉大な円谷に加えて、牡丹園、さらには地元出身の名画伯に触れることが出来、有意義な1日でしたが、実は1点、気になることがあります。今回ご紹介した2人の円谷は偶然に同じ苗字だったのでしょうか。もしくは、このあたりは円谷一族発祥の地なのでしょうか。ネット等で検索してみたところ、確かに円谷という苗字は日本の苗字の中では珍しい方に分類されていて、かつ都道府県別では福島県が最も多いようです。ただこれ以上の情報を得ることはできませんでした。ご存知の方がいらっしゃれば教えて頂ければ幸いです。
<関連情報>
①円谷英二 VES(Visual Effect Society)殿堂入り【2025/11/25更新】

既にご存じの通り、円谷英二がVESの生涯功労賞である殿堂入りを果たしました。実はお恥ずかしい話ですが、今回、VESという組織のことを初めて知りました。映画、テレビ、広告などのメディアにおいて、視覚効果の分野で世界的に権威のある団体のようです。その中でも今回受賞した「Hall of Frame(殿堂入り)」はVFX(視覚効果)の業界に永続的な影響を与えた偉大なパイオニアを称える最も権威のある生涯功労賞のようです。
恐らくここでは「パイオニア」がキーワードなのかなと思いました。というのはウルトラマンといいゴジラといい、そこで使われた特撮技術は、当時は最先端であっても、今ではとても見られたものではない幼稚なものです(もちろん批判しているわけではありませんので念のため)。ゴジラが作られたのが1954年ですので、今から70年以上も前、日本が戦争に負けてまだ10年も経っていない時期にあのような特撮映画を作った、まさにパイオニアとしての功績が評価されたのかな?と思いました。ウォルトディズニーやスタンリーキューブリックも同じ賞を受賞したということです。そのような偉人たちに肩を並べることができたのは大変に素晴らしいことです。
それにしても国民栄誉賞もそうですが、この種の賞を見て何時も思うことは、せめてご本人が存命中に称えることはできなかったのかということです。
➁是非、立ち寄りたい周辺のお勧め
牡丹園
明和3年(1766年)に開園。東京ドーム約3倍の広さの園内には、290種7000株もの牡丹が咲いている。全国の牡丹園で唯一の国指定名勝。4月下旬から5月中旬が見ごろ。JR須賀川駅から徒歩35分
翠ヶ丘公園
日本都市公園100選(緑の文明学会と社団法人日本公園緑地協会)に選定。園内には万葉集に出てくる植物にちなんだ歌60首の歌碑が設定。桜の名所としても知られている。JR須賀川駅から徒歩15分