作成日:2026/2/21
訪問日:2026/1/29
普代水門と太田名部防潮堤
~3.11の津波を防いだとされる奇跡の水門~
【カテゴリ:文化・遺産】
今年も3.11の季節がやってきました。本ブログではこれまでにも3.11を重要なテーマとして取り上げてきました。東北の沿岸地方を訪れる機会があれば慰霊塔で犠牲になられた方の冥福をお祈りするようにしてきました。震災遺構等についてはその爪痕をこの目で確認してきました。今回は岩手県普代村にある普代水門と太田名部防潮堤を訪れました。
普代水門と太田名部防潮堤

普代水門は、岩手県の普代村にある水門で、2011.3.11の津波では村の中心部への浸水を食い止めました。東北地方の沿岸地域が大きな被害を受ける中、民家被災と死者ゼロを実現し、「奇跡の水門」と呼ばれているようです。ただこの「奇跡」という言葉には違和感を覚える方も多いようです。これについては後で触れたいと思います。
明治以降、東日本大震災の前にもこのあたりは大きな地震を二度にわたり経験してきました(1896年の明治三陸地震、1933年の昭和三陸地震)。特に明治三陸地震で発生した津波は38.2mもの高さになったと言われており、普代村全体では当時の人口2038人中、302名もの犠牲者が出たと言われています(注:脚注➁ご参照)。

1947年に普代村の村長に初当選して1987年まで10期40年に亘り村長を務めた和村幸得氏は、昭和三陸地震の体験者でもあります。津波による被害を抑えるために、明治三陸地震で普代村を襲った津波の高さ(推定14m)を参考にして普代水門(高さ15.5m、全長205m)と太田名部防潮堤(高さ15.5m、全長155m)を完成させました。この防潮堤と水門の高さ15.5mは東北最大級とのことです。ただ工事費用が膨大になることに対して周囲の反発も強かったようです(最終的な費用は普代水門が35.6億。太田名部防潮堤が0.6億と言われています)。これに対して和村村長は「二度あることは三度あってはならぬ」という強い信念のもと、周囲を説得して完成にこぎつけました。

そして2011年の東日本大震災では、津波による浸水被害を最低限に抑え、村内の人的被害を死者0、行方不明者1に抑えることができました。このため普代水門は「奇跡の水門」と呼ばれ注目を集めました。ただこの水門は、震災当日、途中で停電となったため遠隔操作により閉門を行うことができなかったようです。また明治三陸地震を想定して15,5mの高さで設計していましたが、東日本大震災では津波の高さが20mにも及んだため、津波は水門を乗り越えてきました。最終的に水門自体は決壊しなかったため付近への被害は少なかったものの、もし津波が長時間水門を超えていたり、より高い津波が押し寄せていたりしたら水門は決壊した可能性もあったようです。こういった経緯から「普代村を救った奇跡の水門」ではなく、「ぎりぎり間一髪奇跡的に被害を防いだ水門」という人もいるようです。また「水門に頼るのではなく素早く高台に避難することこそが重要である」という教訓とすべきともいわれています。
①普代水門を訪れる

このような死者ゼロを実現した奇跡の水門を実際にこの目で見るために普代村に出向きました。旅の起点は三陸鉄道普代駅です。この普代駅は東日本大震災により一時期、運休の期間はありましたが、駅舎自体は大きな被害にならなかったようです。
少し余談になりますが普代村は以下の2点においてトピックス的な自治体となっています。
①岩手県33市町村の中で一番人口が少ない自治体です。そのため人口密度も少ないように思いましたが23位でした(2024年1月時点)。その理由は面積も28番目に小さいためです。この面積が小さい経緯等を確認したところ、平成の市町村合併により、岩手県では譜代村は田野畑村と並び他の市町村と合併をしなかった唯二の自治体ということのようです。合併をしなかった理由として、住民サービスの低下に対する懸念や村独自の文化の維持が出来なくなるなどがあったようです。そのため普代村は岩手県の中でも昔からの文化や伝統を受け継いでいる数少ない市町村と言われています。
➁コンビニがない村と言われています。これは普代村に関してなぜかいつも話題になる内容です。ただ正確に言えば、全国チェーンの大手3社のコンビニがないというだけで、地元のコンビニはあるようです。

さて普代水門は普代駅から1.5km、徒歩で約20分のところにありました。最初、普代水門を見た時にはその巨大な要塞のような姿に圧倒されてしまいました。さらに驚いたのは3.11当日、津波が到達した高さです。左の写真をご覧頂きたいと思いますが、小さくて恐縮ですが右上に到達点23.6mとあります。この水門の設計は高さ15.5mですので、それをはるかに超える高さに津波は到達したのです。下からは思い切り見上げないと見えないような高さです。改めて当日の津波の脅威を感じると同時に、設計よりも遥か高い津波であったにも関わらず、よく被害を最小限に食い止めることができたものだと感じました。その意味で、間一髪奇跡的に被害を防いだ水門と言われている所以なのかなと思いました。
➁太田名部防潮堤を訪れる

普代水門の横にはこの水門の建築に尽力した和村元村長の碑がありました。そこには和村氏の言葉「二度あることは三度あってはならぬ」が刻みこまれています。
太田名部防潮堤へは普代水門からさらに1.2km、徒歩で約18分のところにありました。右の写真は普代水門から太田名部防潮堤へ向かう途中にあった普代浜です。この普代浜は岩礁地帯が多い三陸海岸の中では数少ない砂浜での海岸ということのようです。夏ともなると家族連れで賑わう穏やかな海岸ですが、ひとたび大地震が発生すると津波という形で牙をむいてくるとは・・。ちょっとこの穏やかな光景を見ているととても考えられませんでした。

普代水門から歩くこと18分、太田名部防潮堤に到着します。こちらも普代水門と合わせて和村元村長が津波対策のために作った堤防です。高さ15mの防潮堤が150m近くあるので、その様はまるで万里の長城のようです。この防潮堤の前に立つと、これもまるで要塞のようでプレッシャすら感じました。それでも震災当日は津波が超えていったようです。
なお訪れた当日、何かの工事をしていました。

今回、奇跡の水門と呼ばれた普代水門と太田名部防潮堤と実際に確認しました。一応は「奇跡の水門」と呼ばれていますが、明治三陸地震を想定して15,5mの高さで設計していたにも関わらず、東日本大震災では津波の高さが20mにも及んだため、津波は水門を乗り越えてきました。実際に見た感じでも想定よりもはるかに高いところに津波が押し寄せており、よくあの大津波を防ぐことができたものと思わざるを得ませんでした。
今後、今回の大震災を上回る規模の津波が押し寄せることがないとは限りません。過去の経験を生かしても自然の驚異はそれをも凌駕することは必ずあると思います。人智をも超えるような自然の驚異に直面した時に我々はどう対応すればいいのでしょうか。改めて考えさせられました。

やはり水門、防潮堤といったハード面だけではなく、今回の教訓にも書かれているように、当日はとにかく高いところに逃げる、そして日頃からのハザードマップの整備や、いざ津波が発生した時に備えての訓練(避難訓練、水門の開閉訓練他)なども合わせて準備していく必要があるのかなと思いました。
元和村村長の言葉「二度あったことは三度あってはならぬ」が改めて重くのしかかってきました。

<関連情報>
①3.11関連の記事
➁普代村での明治三陸地震の犠牲者の数について
・明治三陸地震での犠牲者数については地震発生直後の混乱等もあり、実際の値よりも過剰に多く報告されていたり過少に報告されている場合があるようです。文献によっては普代村での犠牲者の数は当時の人口2,308名中、1,010名という数値になっていますが、302名が正しいようです。
③是非、立ち寄りたい周辺のお勧め

<黒崎灯台(北山崎)>
普代村には鶏鳥(うねとり)神社、陸中海岸を代表する景勝地北山崎や黒崎灯台等があり見所満載の村です。いずれも普代村の村営バスを使えば行くことができるのですが、普代水門を訪れる機会があれば是非、その足で黒崎灯台に立ち寄ることをお勧めします。というのは黒崎灯台もしくは北山崎に向かうバスは、途中、普代水門、太田名部防潮堤を通るためです。このことは当日現地で知りました。
私の場合、最初に普代水門⇒太田名部防潮堤に向かい、一度、普代駅に戻りました。少し時間に余裕があったので村営バスに乗り黒崎灯台に向かいましたが、なんと先ほど訪れたばかりの普代水門、太田名部防潮堤を通るではありませんか。村営バスをうまく活用すれば歩行距離も少なく抑えることができました。

・例えば普代水門⇒太田名部防潮堤まで歩き、そこから村営バスに乗り黒崎灯台へ向かう
・もしくは先に村営バスを使って黒崎灯台まで行き、その帰りに太田名防潮堤で降りて歩いて普代水門⇒普代駅に徒歩で戻る 等
ただこれは村営バスの時刻表含めた事前の綿密な調査が必要です。また太田名部防潮堤でのバス停がどこにあるかも確認する必要があります。
ちなみに北山崎は村営バスの終点にあたります。バスは北山崎に着くと5分程度の折り返し時間しかないので、途中の黒崎灯台がお勧めです。

この黒崎灯台ですが狭いエリアにも関わらず、雄大な太平洋を臨む黒崎灯台、北緯40度シンボル塔、カリヨンの鐘、アンモ浦展望台など多くの見所がありました。その中でも一番興味を持ったのは「黒崎御台場(砲台場)跡」でした。これは江戸時代、南部藩によりこの場に台場が設けられ、他に設置された33ケ所の砲台場とともに、この地の監視にあたっていたというものです。その歴史の古さに驚かされてしまいます。

そしてここ黒崎灯台は「みちのくトレイル」のコースにもなっていました。ご存知の通り「みちのくトレイル」は東日本大震災の復興を祈念して、環境省を中心に作られた東北地方沿岸の遊歩道です。青森県の八戸から福島県の相馬市までの4県28市町村をつなぐ全長1000kmを超える壮大な自然歩道です。
丁度、黒崎灯台の近くで、まるで山を縦走するかのような重装備の集団に会いました。すぐにみちのくトレイルを歩いているに違いないとわかりました。私もみちのくトレイルの名前は聞いており、まさに「東北を歩く」の究極のテーマとは思っていますが、この年にして1000kmもの道を歩くだけの体力と時間があるのか、今後の検討課題になりそうです。