作成日:2026/6/11
水と歴史の町 七ヶ宿の街並みを歩く
~笑うしかない過疎の街を応援したい~※NEW!
【カテゴリ:自然、文化・遺産】
宮城県の南部に七ヶ宿町という比較的小さな町があります。この七ヶ宿町には2010年の夏に1度出向いたことがあるのですが、自然と歴史に満ち溢れた街だったと印象に残っています。是非もう一度訪れたいとかねてより計画していましたが、①七ヶ宿町に新しい名所が出来たこと、➁昨年(2025年)戦後80年を機会に東北に残された戦争の爪痕を調べていたところ、この七ヶ宿にもその爪痕が残されていること、③かねてからの計画である七ヶ宿街道を歩くための調査などを兼ねて、再度、七ヶ宿を訪れました。
七ヶ宿町について

最初に七ヶ宿町について簡単に触れたいと思います。七ヶ宿(ちなみに「しちがじゅく」ではなく「しちがしゅく」と呼ぶようです)町は、宮城県の南西部に位置しており、蔵王連峰の懐に抱かれた風光明媚な街です。
町名の由来は、かつての羽州街道沿いに七つの宿場町(上戸沢、下戸沢、渡瀬、関、滑津、峠田、湯原)が置かれていたことによるものです(七つの宿場町のうち関、滑津、峠田、湯原の四宿が現在の七ヶ宿町に属します)。この七ヶ宿の街道は、主に大名の宿泊場所である本陣、庶民用の旅籠、茶屋などがあり、出羽大名の参勤交代の通路として、また出羽三山詣の往来として賑わっていました。


・七ケ宿街道沿いに位置していたこともあり、かつては宿場町として栄えていたこと。
・その後、鉄道が台頭してきたことにより宿場町としての役割を終えたこと。
・そして資料館の言葉を借りると、有史以来の大イベントである七ヶ宿ダムができたことにより、水と歴史の街として発展をとげようとしていること。
ちなみに七ヶ宿ダムは宮城県最大級のダムで、主に仙台市のみずがめになっているようです。
笑うしかないこの過疎化

このように歴史と自然に恵まれた七ヶ宿町ですが、実は大変な心配事があります。それは自治体としての存続が心配になるほど過疎に悩まされていることです。なにしろ笑ってしまうしかないような過疎化ぶりを示す数値が並んでいるのです(七ヶ宿町の皆様ごめんなさい。もちろん悪い意味で言っているのではありません)。
・人口が宮城県の中で一番少なく、わずか1200人規模にすぎません。その次に少ない市町村は大衡村でその人口が約6000人弱ですから、七ヶ宿町の人口は大衡村の1/5に過ぎないことになります(いずれも令和7年時点)。そもそも人口が一番少ない「村」の人口の1/5に過ぎない「町」というのは、「町」として成立するのでしょうかと思ってしまいます。
・町全体の高齢化率が45%と極めて高いようです。限界集落の定義によると、65歳以上の人口が全体の過半数を占める集落を指すようなので、七ヶ宿町全体が既に限界集落に近づいているようです。

・驚くことに(笑)町内には信号が一機しかないようです。その一機についても交通量が多いために作られたのではなく、子供が信号を知らずに育つことを心配して作られたようです(注:町内に信号が一機しかないのは事実のようですが、その設置理由については事実かどうか定かではありません。間違っていればごめんなさい)。
・これまで町内にはコンビニがありませんでしたが、2017年に町内初めてのコンビニが出来ました。そしてそこを起点/終点とするバス路線が出来ました。コンビニが乱立状態の都会に住んでいる方には、コンビニが始発駅/終着駅となるようなバス路線は考えられないですよね。

・宮城県の市町村別の面積で七ヶ宿が最も狭いのです。面積が狭いことと過疎は関係なさそうですが、面積が最も小さく人口も一番少ないのであれば、周辺の市町村と合併すれば?という話にならないか心配します(実際、これまで市町村合併の話はあったようです)
ただ七ヶ宿に訪れるたびに感じるのは、皆さんとても明るく親切で優しいのです。今回、訪れた時もその親切さにますます七ヶ宿に惹かれてしまいました。是非、この七ヶ宿に多くの方が訪れて、歴史と自然に満ち溢れた七ヶ宿町を知って頂きたいと思います。そして町の存続を祈念するばかりです。

少し差し出がましいですが、私のお勧め処を以降に示しました。ただ私自身も2回しか訪れておらず、まだまだ見所はあることがわかっています。実際、今回も「水芭蕉の群生地」、「オトメユリの群生地」があることを新たに発見しました。特に「オトメユリ」は別名「ヒメサユリ」と呼ばれていて、以前にこの花を見るために喜多方市郊外のヒメサユリの群生地まで出かけたことがあります。そもそも七ヶ宿の町の花が「オトメユリ」でした。こんな身近にオトメユリ(ヒメサユリ)を見ることが出来たのです(関連記事「ひめさゆり祭り」)。

町内の主要な場所には町営バスが走っているので、私のような鉄道とバスと歩きだけで旅する者には大変に便利でした。新幹線の停車駅でもある白石蔵王から町営の直行バスもでています。
これからも水芭蕉やオトメユリなどを見るために、最低2回は七ヶ宿に出向くことになりそうです(2つの花は見ごろとなる時期が異なるので、最低、2回必要)。
是非、歴史と水の街七ヶ宿を訪れてみませんか
(1)お勧めその1:七ヶ宿ダム周辺 【町営バス白石線「七ヶ宿ダム公園」】
①七ヶ宿ダムと公園

七ヶ宿ダムはこの地域一帯の治水や東北一の大都市仙台市の水がめの1つとして作られた多目的ダムで、1991年に完成しました。ダムによって出来た人造湖である七ヶ宿湖は、ダム水源地環境整備センターが選定する「ダム湖100選」に選ばれています。
ただ建設にあたっては、これまで宿場町として栄えてきた七ヶ宿からダム建設反対の動きがあったようです。ダム湖に沈んだかつての七ヶ宿の地区の当時の様子が水と歴史の館に展示されていました。
周辺はみちの駅や七ヶ宿ダム自然休養公園などがあり、のんびりと時間を過ごすことができます。



➁水と歴史の資料館 お勧め!

七ヶ宿ダム建設を機に、七ヶ宿町の歴史や水に関する展示資料館として開業しました。民族資料室では、昔の七ヶ宿街道や農具等の民族資料、人々の暮らしが展示されています。絵画ギャラリでは、七ヶ宿ダムの湖底に沈んだ集落の様子が絵画として展示されていました。七ヶ宿にゆかりの深い芥川賞作家古山高麗雄氏の作品や遺品なども展示されています。
そして戊辰戦争の際、薩長を中心とする官軍に対して、仙台藩を始めとした当時の奥羽諸藩が関宿本陣跡に集まり対策を練った際の大変に貴重な資料も残されていました(後述「関本陣跡」ご参照)
館内には「あそぼう広場」があります。私が最初に七ヶ宿を訪れた2010年7月には、昔の遊び特集と称してお年寄りが子供さんに昔の遊び道具を教えていました。


(2)お勧めその2:旧「関宿」周辺【町営バス「七ヶ宿町役場前」】
関宿は七ヶ宿の中でも最も大きな宿場町で、七ヶ宿の中心的存在でした。そして今でも七ヶ宿町の役場や町唯一のコンビニや信号機もあり、町一番の賑わいを見せているところです(笑)。新幹線が停車する白石蔵王駅から直行の町営バスが出ており、またここから長老湖(後述)、滑津・千蒲(後述)行きの町営バスもでており、交通の要所にもなっています
①関本陣跡

関宿には本陣跡が残されています。この本陣跡は幕末には226坪もの広さがあり、東海道の数ある本陣にも匹敵する規模を誇っていたようです。一夜に200人を泊めたという記録も残っているようです。
そしてこの関本陣では歴史上、大変に重要な出来事がありました。戊辰戦争の際、薩長を中心とする官軍に対して、仙台藩を始めとした当時の奥羽諸藩がこの関宿本陣跡に集まり対策を練ったと言われている場所です。写真の「会津御追討方御用永留」は当時の切迫した状況を知る上で大変な貴重な資料であると言われています。前述の「水と歴史の館」で見ることができます。


➁なないろ広場
なないろ広場は2019年にオープンした七ヶ宿のまちづくりの新しい拠点です。今回(2026年)、七ヶ宿に出向いた際の目的の1つでした。カフェレストランと図書コーナが一体となった「Bool&Cafeコラッシェ」やウッドチップボイラを利用した「Wood&Spaや・すましぇ」などがあります。ちなみに「なないろ」は七ヶ宿の「七」と虹の「なないろ」をかけているようです。「Bool&Cafeコラッシェ」に最初入った時は、図書コーナとレストランが同居していたため若干の違和感がありましたが(笑)、ゆっくりと時間を過ごすことができました。


(3)お勧めその3:旧「滑津宿」近辺【町営バス千蒲線「滑津」】
①安藤家

本七ヶ宿の中では関宿に次ぐ規模を誇っていた宿場です。昔ながらの茅葺屋根の吉野家や安藤家などの建物が残されており、こういった建物が残っているという意味では関宿以上です。
ここ滑津宿では江戸時代初期から天保年間までは本陣職を桜井家が務め、それ以降は安藤家が務めていました。そしてその安藤家の家がそのままの形で残されています。現在でも個人の住居として使われているため中に入ることはできませんでしたが、街道沿いに切妻破風(きりつまはふ)に懸魚をつけた玄関が当時の面影を表していて、重厚な佇まいを感じることができました。


➁振袖地蔵
滑津宿の西のはずれに高さ2mくらいのやや大きめの地蔵がたっています。言い伝えによると、昔、秋田藩の殿様が参勤交代で江戸に向かう途中、この滑津付近で美しい娘に会い一目ぼれしたと言われています。殿様は江戸に居る間中、その娘のことが忘れられず、一年間の務めを終え再びこの街道を通った時には、その娘は既に亡くなっていました。殿様は深く悲しみ、供養のために振袖姿の地蔵を作ったと言われています。振袖を来た地蔵から振袖地蔵と呼ばれるようになりました(七ヶ宿教育委員会資料より)。まさに七ヶ宿が街道町であったゆえの悲話と言えそうです。

③滑津大滝
滑津宿から徒歩5分のところに滑津大滝があります。町営バスを使うと「滑津大滝」というバス停が最寄りになります。バス停を降りてから歩道沿いに階段を降りると滑津大滝があります。この滑津大滝は、高さ約10m、幅約30mに渡り流れ落ちる滝で、「二階滝」とも呼ばれているようです。豪快そのものの滝です。国道近くには「滝見台」があり、そこから滝を眺め下すこともできます。


(4)お勧めその4:長老湖近辺
【町営バス長老湖線「やまびこの森」等】
①長老湖

長老湖は七ヶ宿の北、蔵王連峰の不忘山のふもとにあるほとんど手つかずの自然湖です。以前は小さな沼だったようですが、発電用に拡張され周囲2kmの大きさになったそうです。あたりはブナの林に囲まれており、新緑の初夏から紅葉の秋まで季節ごとに変わる景色が大変に美しいと言われています。
長老湖を一周する散策コースや横川渓谷まで通じている散策路が整備されているようですが、私は例によりバスの時刻の関係から散策する時間が取れませんでした。是非、機会あれば散策してみたいと思います。また近くには、高さ20m長さ120mという東北地方最大級のやまびこ吊り橋があります。ここから見る不忘山は絶景ということですが、高所恐怖症のため、(恐らく)今後も行く予定はありません(笑)
確か長老湖近辺には長老湖ユースがありましたが、今は廃業されてしまったようです。またかつてこの長老湖から不忘山の麓の硯石を経由して白石蔵王まで通じているバス路線もありました。蔵王登山の下山した際、利用したことがありましたが、こちらの方も廃止されたようです。負の話題が多いですが、それだけ多くの手つかずの自然が残されているといえそうです。

➁不忘平和記念公園

今回(2026年)、七ヶ宿に出向いた際の目的の1つがこの平和記念公園を訪れることでした。昨年(2025年)が戦後80年ということもあり、東北各地に残されている戦争の爪痕を訪れましたが、ここ七ヶ宿にも爪痕が残されていることを知りました(関連記事「東北地方に残された戦争の爪痕)」
太平洋戦争末期の1945年3月10日の未明に、東京空爆のために東京に向かっていた米軍のB29のうち3機が何らかの理由によりここ七ヶ宿にある蔵王連峰不忘山に相次いで激突して、搭乗員34名全員が死亡するという事故が発生しました。

ただこの事故は未だに多くの謎に包まれているようです。一番大きな謎は東京空爆のために向かったB29が、なぜ300kmも離れたこの地に向かい、そしてなぜ3機が立て続けに山に衝突したのかということです。 このB29墜落事故については、別ページでもう少し詳細に触れたいと思います(関連記事「七ヶ宿にある不忘平和記念公園(仮称:6/E掲載予定)」
戦後、敵国でありながら、人間の死に敵も味方もないという考えで、1961年に地元有志の手により不忘山の山頂近くに「不忘の碑」が建立されました。以前に南蔵王を縦走した時、不忘山から硯石に降りたことがありますが、その時は慰霊碑のことは全く気付きませんでした。そもそもそのような事があったことも知りませんでした。

さらに2015年には遺族や関係者の手により、長老湖の傍に「不忘平和記念公園」が開設され、不忘の碑のレプリカや34名の墓が作られました。現在では毎年、日米の関係者による慰霊祭が行われているとのことです。
なおこのあたりは町営バスのフリー区間になっているので、なないろ広場から長老湖行きのバスに乗り、不忘平和記念公園で下してもらいました。
(5)限界集落「千蒲」地区

七ヶ宿の西のはずれに千蒲地区という限界集落があります。「千蒲」と書いて「ひかば」と呼ぶようです。七ヶ宿の町営バスは地元の方が中心に利用するので、地元の人が乗車する時は顔なじみのためか運転手は行先を確認しないのですが、私のようなよそ者が乗車すると立ちどころに行先を聞かれます。以前に仙台の蒲生地区(がもうちく)にある日和山に行ったことがあるので「千蒲」も「せんがも」と呼ぶものとばかり行先を告げてしまいました。幸い、運転手はすぐに気づいてくれましたが

この千蒲地区はNHKのテレビ番組「限界集落住んでみた」ですっかり有名になりました。広辞苑によると「限界集落」とは「過疎化で65歳以上の人口が半数を超え、社会的共同生活の維持が困難な状況にある集落」と定義されています。
今回(2026年)、七ヶ宿に出向いた際の目的の1つがこの千蒲地区を訪れることでした。もちろんひやかしのために出向いたのではなく、現在、計画中の街道歩き(山形の高畠から七ヶ宿街道を経由して福島桑折にある追分までを歩く)のための事前調査でした。

現在の計画は以下の通りです。
①前回、高畠線跡を歩いた時に終着地点となった「爪割石庭公園」をスタート地点とする(関連記事「高畠線廃線跡」)。
➁国道113号を歩き、高畠線跡で残された「上駄子田駅跡」「二井宿駅跡」を経由して、七ヶ宿街道の「坂の上」別れまで歩く(予想歩行距離9.7km歩行時間2時間10分)
③「坂の上」別れで七ヶ宿街道に合流して町営バスに乗る(途中一泊)
④町営バスでなないろ広場経由、さらには藤坂まで町営バスに乗る。
⑤藤坂で降りて、材木岩公園、小坂峠を経て桑折の追分まで歩く(予想歩行距離22km歩行時間5時間)。途中、戸沢、下戸沢、渡瀬といった七ヶ宿町以外にある七ヶ宿街道の宿場町を訪れて一泊。
前回、時間切れで行けなかった高畠線跡、さらに今回訪れることができなかった七ヶ宿街道の他の宿場町を3日かけて訪れるという贅沢なコースを考えています。
今回、概ね周辺の状況(人家はどの程度あるか、歩行距離、交通量、熊は出そうか(笑)等)を下見することができました。
mission complete! です。
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