原稿作成中


原稿作成中(メモ程度)⇒順次独立

 


 

●ウーメン

口上:江戸時代白石の城下町にいた鈴木味右衛門が病気の父のために作ったといわれている。これに感動した御殿様が、人を思いやる温かい心をもつ麺温麺(うーめん)。ソーメンより短い」

味オンチの私にはそばと同じに思えた

温麺うーめん)は、素麺の一種であり、宮城県白石市で生産される同地の特産品である。白石温麺とも呼ばれ、「うーめん」あるいは「ううめん」と仮名で表記されることも多い。過去には雲麺と書いて「うんめん」とも呼ばれた[1]

製法

一般の素麺は生地を延ばす際、麺生地同士の付着防止と表面の乾燥を防ぐために油を塗る。一方、温麺は油を用いないでうち粉(でんぷん)を振りかけながら製麺するのが特徴である。椀に収まるよう、長さ9センチメートル程度で束にして売られることが多い。醤油味噌で作った汁につけて食べるのが一般的である。熱くしても冷やしても食べるが、夏に冷して食べるのが主流の素麺とは異なり、温麺は通年で食べられている。茹で時間の短さと麺長の短さから、料理で扱いやすく食べやすい。老人食や離乳食にも重宝されている。他の材料を混ぜ込んだ変わり麺も製造されている。ただし、油を用いていないがゆえに麺が伸びやすいという欠点もある。

 

歴史

江戸時代初めに白石に住んでいた大畑屋鈴木浅右衛門が、胃腸の弱い父親のため、旅の僧に教わった油を使わない麺の製法を苦心の末会得して創始したと伝えられる。浅右衛門は名を味右衛門と改めて温麺製造を業とした[2]。油なしで細い素麺を作る製法はこれ以前に大和国を中心に上方に存在しており、その技術を取り入れたという経緯らしい。

油なしの素麺はさっぱりして上品で、他の素麺より高級とされ、東北地方南部に流通し、仙台藩主の伊達家から大名・公家への贈答にも用いられた[3]。現在の温麺は通常ゆでて調理するが、江戸時代には蒸して食べたという記録が残っている。当時はとりわけ冬に作られた寒製温麺が良いとされた[4]。白石盆地には冬に蔵王おろしの乾燥した風が吹き、それが麺の製造の便になった[5]。また、蔵王を水源とする小川が白石の街なかを縦横に流れているのも好適であった。江戸時代に白石三白と呼ばれた白石の名産は、和紙、葛粉とこの温麺である。白石葛白石和紙の製造は一か所に限られるが、温麺は今でも盛んに作られている。

製品化された温麺には、長く裁断して束ねたものと、短く裁断して束ねたものがあり、前者は片倉家や伊達家への献上品(そしてそこからの贈答品)に用いられ、後者が下等品であった。温麺は一般的な素麺よりもろく折れやすいので、短くするほうが便利である。そこを少々無理をして長くしたものが上等品というわけである[6]1917年(大正6年)に書かれた『仙台物産沿革』によれば、当時は細く長い温麺を上等として「素麺」といい、太く短いものを下等として「温麺」と呼んだという[7]

第二次大戦後には白石市内で温麺を出す店がよく見られるようになった。2006年には、ギネスブックへの登録を目指して、流し素麺の世界最長記録を塗り替えるイベントが白石市のスキー場で行われた。これまでの記録を塗り替える1802メートルの「流し温麺」が完成した。

作成:2024/3/21

 

作並街道を歩く 【2024年1月】

 

<カテゴリ:自然、文化・遺産>

 作並街道は宮城県の仙台市と山形県山形市を結ぶ国道48号線のことです。このうち山形県側を関山街道、宮城県側を作並街道と呼ばれています。 

国道48号線の起点を示す道路元標
国道48号線の起点を示す道路元標

  仙台市と山形市を結ぶ道路としては他に笹谷街道(国道286号線)、二口街道等がありますが、作並街道はこの中でも唯一冬季の期間、閉鎖されない道路です。以前は馬も通れないような急な坂道であったため、笹谷街道、二口街道と比較してあまり使われなかったようですが、その後、関山トンネルが開通したことにより、仙台と山形を結ぶ主要街道となり、人と馬車が行きかうようになりました。

 

 このように作並街道は古くから東西を結ぶ貴重な道として使われてきました。そして宮城県側には、作並宿、熊ヶ根宿、愛子宿の3つの宿場町が設けられていました。また県境には、それぞれ坂下境目番所(山形県側)、作並宿御番所跡(宮城県側)が設けられ、通行する人や物資の警備にあてられていました。

 右の写真は現在の国道48号線の起点を示す道路元標です。勾当台公園の近くに建てられていました【2026/6/1更新】

スタート地点の作並御番所跡
スタート地点の作並御番所跡

  今回、この歴史ある作並街道を、宮城県側の最西端の作並宿御番所跡から最東端の愛子宿まで歩いてみました。距離にして約15kmです。途中、何か所も立ち寄ったので、寄り道をせずに歩くとどの程度の時間を要するかわかりませんが、スタート地点の作並宿御番所跡で調べたところ、約4時間でした。

 

 沿線は旧街道沿いの宿場町の名残だけではなく、橋や滝その他見所満載でした。このような見所満載の沿線を一度にはご紹介しきれないため、主に作並宿、熊ヶ根宿、愛子宿の宿場町跡や古くからあるお城などの史跡はこのページで、それ以外の仙山線沿線のお勧めスポットは「仙山線各駅停車」でご紹介させて頂くことにしました。合わせてご参照頂ければ幸いです。

ゴール地点の愛子宿※当時、最もにぎわったとされる中野茶屋跡
ゴール地点の愛子宿※当時、最もにぎわったとされる中野茶屋跡

  なお作並街道沿いの作並宿、熊ヶ根宿、愛子宿は、日本に残っている有名な宿場町跡とは違い、今ではかつての面影がなく、標柱が立てられているだけです。従って本ページをご欄になっても面白いものでもなんでもありません。是非、ぶらりと旧宿場町をめぐる旅に出かけてみることをお勧めしたいと思います。旧宿場跡の標柱を探すだけでも楽しいものです。加えて沿線は、滝あり橋ありと見応え満載です。

 

もし作並街道を歩かれる機会があれば、実際に歩いた時の経験から、ささやかながらのアドバイスです。

 

街道沿いいたるところにある旧道との分かれ
街道沿いいたるところにある旧道との分かれ。左は国道48号線、右が古道

①出来るだけ古道を歩く

 作並街道(作並~愛子間)のほとんどが国道48号線沿いを歩くことになりますが、いたるところに古道と思われる道が分かれては合流するという箇所が何か所もあります。国道48号線はそれなりに通行量もあるので、是非、そのような分岐点に遭遇すれば出来るだけ古道を歩いてみることをお勧めします。ひょっとして、それらの旧道のみを案内したサイトがあるかもしれませんが見つけられませんでした。もちろん古道を歩いても、いずれは国道に合流することをマップなどで確認した上での話になります(笑)。

 

②西から東へ向かう(作並宿跡⇒熊ヶ根宿跡⇒愛子宿跡)。

 作並宿跡あたりは奥羽山脈の懐に近いこともあり、かなりの標高です。東から西へ向かうと結構な上り道となります。どうせ歩くなら少しでも楽に歩いた方がいいと思います。作並宿跡からスタートして、熊ヶ根宿跡、愛子宿跡に向かうと下りのため楽な道のりとなります。

 

※なお訪れた当日、作並⇒熊ヶ根⇒愛子の順番で訪れたのですが、周辺の見所が多く、事前の調査が不足していたこともあり、熊ヶ根宿跡、愛子宿跡のいくつかは訪れる時間がありませんでした。是非、「作並街道を歩く第2弾」としてご紹介させて頂きたいと思います。


●福島に残る鬼伝説

 

・皆鶴姫伝説と相互リンク

恋衣地蔵尊

・千恵子の時に近くに。謡曲・歌舞伎で語り継がれる「安達が原・黒塚」の鬼姿伝説。その舞台となる観世字(⇒要用語調査)には鬼姿の住家であった岩屋、出刀包丁を洗った地の池などが残っている。宝物館には黒塚・鬼姿伝説に関する資料を展示。安達三十三観音(要補足)大4番札所、
鬼婆伝説に子供のお墓



●石巻

 

漫画と運河の街 石巻を歩く

 黒崎灯台⇒バスで行けた

・写真:石巻川開き、サンファン 

・ 口上ここにもファンどールンと大久保利通が。前年石巻花火を見た悲しい思い出

 

今年(

漫画館の復興は大きく勇気づけられた(NHK地方より。どこにも書かれていないが本当か。最悪没


●レールバス(栗電ミュージアムもしくは南部縦貫鉄道の原稿として)鉄道伝説より抜粋

・第1期:国鉄がローカル線の地方交通の収支改善のため開発。

富士重工が担当、北海道に1両、南部縦貫鉄道に2両 輸送量増大のためにはバス仕様では耐えられずいったん途切れた(第1期)

・その後、国鉄赤字のため○○年国鉄再建法?により廃止か第3セクターへの転換。そのための手段としてレールバスが再度白羽の矢。ただし当時の設計図面がなく、南部縦貫鉄道に何度も見にいったとのこと(鉄道伝説より)

・第2期として建造されたのが栗原高原鉄道(⇒その後廃止、現在はクリデンミュージアムに展示)

 


●熊その2

 

現代社会が抱える縮図

・柿の木を伐採しようにも空き家で持ち主がわからないため切れない

・熊のため里を離れる⇒過疎化の悪循環

西日本では個体数の管理が適正に行われている?

 

なお生態はよくわかっていないようだ

これまでの常識が適用しない

・人を襲わない

・市街地にも出没する

・襲った熊をしげみに引きずり込む

鑑賞地域の減少

 

①日経記事サマリ

 

・このままではクマの惑星(24/10/7)

・少子高齢化が進む中、今更緩衝地帯を整備するのは現実的ではない(24/10/7)

●4~8月は人の生活圏での発生が51.6%、生息域が広がっているということは人間がその地域からいなくなっていることを示す。対策:クマを人の生活圏に近づけない(25/10/11)

・東北森林管理局発表、ブナの実が青森、岩手、宮城、秋田、山形すべてで「大凶作」、5県すべてで大凶作は23年以来(25/11/7)

●親子間の学習で人を警戒しなくなった「新世代クマ」の増加。被害が深刻であった23年に母グマから行動を学んだ個体が現在出没している可能性あり。ドングリの実の不作⇒市街地で食べ物を得られると学習。市民生活にも影響、夕方以降二輪車による配達をやめる等。陸上自衛隊への支援要請、戦後は保護政策⇒24年4月に「指定管理鳥獣」に指定。誘因物の7割が集落の柿(25/11/9)

●クマの冬眠は浅い眠りのため近づくと襲われる可能性あり、GPSによる調査では冬眠中でも1~2回ほど起きて冬眠場所を変える。オスは交尾のために子連れの母くまを見ると子熊を襲って殺すことがある。そのため母くまはあえてオスから逃れるために人の生活圏に出没している可能性がある(25/11/23)

●ブナの実の結実が2021年以降、凶作と豊作を隔年で切り繰り返している。来年は豊作の見通しであるが、再来年は凶作の見込みでまた熊が出没する可能性ある(2025/12/1)

・ドローンの即時飛行容認(2025/12/4)

・鶴岡市などではふるさと納税を活用してクマ対策(2025/12/5)

・4月から11月のクマ被害が230名、これまでの最高219人を更新。秋田66、岩手37、福島24。

犠牲者数は13人。捕獲数は9867頭、(25/12/6)

・駆除後の処理が大きな課題になっている(25/12/22)


●出羽三山

NHK低山伝説(羽黒山

・ここを登れば3山登るのと同じご利益

・三山信仰の中心

・生まれ変わりの旅

・五重塔:白木作り、これらぶき

・2446段


【四季の里駅】★あゆーむ ※今回追加

 宮内駅から徒歩10分のところに縁結びの神様として有名な熊野神社があります。