BRTで行く奇跡の一本松 NEW!
<カテゴリ:鉄道、自然、文化・遺産>
ついにBRT・・
今年(2024年)の夏、東日本大震災で被災した旧大船渡線、旧気仙沼線を引き継いだBRTに初めて乗りました。実は出発前に調べていく中でわかったことですが、今回、初めてBRTに乗るものと思っていましたが、2回目だったのです。そもそもBRTとは「BRT(Bus Rapid Transit)」の略で、「連節バス、PTPS(公共車両優先システム)、バス専用道、バスレーン等を組み合わせることで、速達性・定時制の確保や輸送能力の向上が可能となる高次の機能を備えたバスシステム」となっています(国土交通省のホームページより)。難しく書かれていますが、要は従来の路線バスに対して、バス専用道などを設けることにより、早く大量に輸送能力を高めたものであればBRTと呼ぶようです。以前に白河の関を訪れた時に見つけたバス専用道路もBRTに該当するようでした。これは驚きです。これまで東日本大震災で被害を受けた大船渡線、気仙沼線について鉄道としての復興を断念してBRTが導入されたものと思っていましたが、既に日本の各地でBRTが走行されているようです。さらに世界を見渡すと結構な数のBRTがあることがわかりました。お恥ずかしい話ですが、こういったBRTのことについて、今回、初めて知りました。従いここでは、東日本大震災で被災した大船渡線、気仙沼線を引き継いだBRTについて記載します。
BRT大船渡線、BRT気仙沼線に乗る
2011年に発生した東日本大震災では東北地方に甚大な被害を及ぼしました。特に福島県/岩手県/宮城県の沿岸部では津波により多くの鉄道の線路や駅舎が流されてしまいました。時間を要したものの常磐線や仙石線、三陸鉄道などは鉄道としての復旧を選択しました。一方、気仙沼線(柳津駅~気仙沼駅間)、並びに大船渡線(気仙沼駅~盛駅間)は、復旧手段としてBRTが導入されました。当初は鉄道の仮復旧という位置づけだったようですが、最終的には鉄道に代わる最終復旧手段となったようです。
さて今回、待望のBRTに実際に乗る機会がありましたが、実際に乗ってみて初めてわかったことがありました(もちろん地元の方にとっては当たり前の話と思いますが)。
①BRT気仙沼線、BRT大船渡線は、これまでのJRの鉄道の線路跡のみを走行しているものと思っていましたが、そうではありませんでした。確かに気仙沼を出発したBRT気仙沼線、BRT大船渡線は、最初はJRの鉄道の線路跡を走行していましたが、いつの間にか一般道を走行していました。改めてJR東日本のホームページを見ると、走行車線としては、専用道と一般道があるようです。これは地元の自治体からの要請に基づき、役場や病院などの足の手段を確保するために、ルートの変更や駅の新設が行われたようです。多くの鉄道の線路が流されてしまったので、どこまでが既存の線路かわかりづらかったですが、私のようなよそ者にとっては、行きたいところにバス停(駅)があるので、大変に便利でした。例えば今回出向いた「奇跡の一本松駅」などは、従来のJR線路上にはないところに駅(バス停)があったので容易に到達することが出来ました。
②専用道上では退避所や信号などがあり、バス路線の難点であった渋滞に巻き込まれることがないように工夫されていました。なるほど確かに1車線しかない専用道を通るからには待避所は必須なのかなと思いました。ただバスは定刻通りこないものと思っていましたので、BRTのバスがほぼ予定時刻通り退避所ですれ違う様子は感動ものでした。
③BRT大船渡線、BRT気仙沼線ともに、JRが運行を担当しているものと思っていましたが、BRT気仙沼線がミヤコーバス、BRT大船渡線は岩手県交通に委託されていました。特にBRT大船渡線では、従来のJR大船渡線のルートであった上鹿折駅を通らなくなったので、ミヤコーバスが鹿折金山線の気仙沼駅~上鹿折駅前間をBRT区間として運行しています。これは今回、現地でようやくわかった内容です。別途、ご紹介させて頂きたいと思います。
④BRT大船渡線、BRT気仙沼線ともに、走行時間の割には運賃が安かったです。例えばBRT大船渡線の始発駅である気仙沼から終着の盛駅まで約80分の所要時間でした。これだけの所要時間だったので、1000円以上の運賃を覚悟していましたが、なんと860円でした。これは考えてみればJRの路線の運賃体系です。たまたまバスで少し時間がかかっただけの話ですので、当たり前かもしれません。
また便数が結構、多かったためBRT線沿いの各所を訪れるのに大変に便利でした。例えばJR大船渡線の時は、2時間に1本程度の割合でしたが、BRT大船渡線では、1時間あたり3本程度運行されていました。ただ今回乗車した路線は、いずれも乗客がほとんどいなくて、地元の高校生と思しき乗客が1~2人程度であったのが気になりました。いくら夏休みの期間とはいえ、大丈夫かと思った次第です。
⑥そして一番強く思ったことですが、やはり街の玄関口はJRの駅であるというイメージが強いので、BRTの駅(一言でいえばバス停です)というのは少し物足りなさを感じました。例えば大船渡駅ですが、写真を見て頂けるとおわかりの通り、震災前の大船渡駅は、たとえ利用者数が少なくても見送りの車やタクシー等が集まる街の玄関口でした。一方、BRTの駅は一言でいえば単なるバス停です。市の玄関口としては物足りなさを感じました。ただこれはよそ者の勝手なエゴにすぎないことも理解しています(関連する記事として「変わりゆく別れの風景」ご参照)。
BRTが今後、災害発生時の復興手段となるのか、非常に気になるところです。同じJR東日本の管内で、豪雨により鉄橋などが流された只見線では、当初、JR東日本は地元に対してバスへの転換を提案したようですが、復旧費や管理費の一部を地元が負担することで鉄道による復活を希望されたようです。鉄道の存続については、個人的には残してほしいなという気持ちはありますが、外野がとやかく言う話ではないと思っています。是非、BRTを選択した大船渡線と気仙沼線、鉄道による復興を選択した只見線、その今後について注目していきたいと思います。
奇跡の一本松を訪れる
今年(2024年)の夏、BRT大船渡線に乗り奇跡の一本松その他、主に岩手県の沿岸沿いを廻ってきました。またBRT気仙沼線に乗り宮城県の沿岸沿いを廻ってきました。BRT大船渡線については出発当初、少し路線がわかりづらいところもありましたが、今回、理解することができました。これについては続けて、「BRTを使って鹿折金山跡を訪れる」でご紹介したいと思います。
さて既にご存知のとおり、奇跡の一本松は東日本大震災での津波により松原の木をほぼすべてなぎ倒された中で、1本だけ奇跡的に残り、復興のシンボルとなりました。私もかねてより一度は訪れたいと思っていましたが、2024年の夏、ついに実現することが出来ました。BRTの駅(バス停)としても「奇跡の一本松」駅があり、駅(バス停)から徒歩約8分と大変に便利でした。
今回、これも実際に現地に出向いて初めてわかったことが2点ありました。
①奇跡の一本松は、東日本大震災の津波に耐えたことにより復興のシンボルとなったものと思っていましたが、実は以前から三陸沖で発生した地震と津波にも耐えてきており、昔から奇跡の一本松と呼ばれていたそうです。そのため、以前より海の塩分をたっぷり吸い込んでしまっており、松を保存させるための活動は困難を極めたようです。改めて陸前高田市のホームページを見ると確かに記述されていましたが、実際に現地での案内を見て知りました。
②奇跡の一本松の横で崩壊している建物を見た時、衝撃を受けました。なんと何度もお世話になった陸前高田ユースではありませんか。東北の旅を始めた頃は学生時代の延長ということもあり、ユースホステル(ユース)を愛用していました(「YHからBHへ」をご参照)。正直、心臓がドキドキしてしまいました。この崩壊した建物の状況から、陸前高田ユースに泊まっていた方はかなりの被害にあったに違いありません。これまで全く知りませんでした。改めて調べてみたところ、陸前高田ユースは、震災の数ケ月前から無期限の休館中であったため、人的被害はなかったようです。不幸中の幸いです。
そもそも奇跡の一本松は陸前高田ユースの敷地内だったということもあり、日本ユースホステル協会が所有者だったようです。その後、このあたり一帯を高田松原津波復興祈念公園として整備するため、一本松の所有権が日本ユースホステル協会から陸前高田市に移管となったとのことでした。
高田の松原の約7万本の木の中で奇跡の一本松だけが生き残った理由の1つとして、一本松と海の間に陸前高田ユースが位置していたため防波堤になったようです。
何度もお世話になった陸前高田ユースの変わり果てた姿を見た時の衝撃、人的被害はなかったことを知った時の安堵感、陸前高田ユースが防波堤となり奇跡の一本松が生き残ったことなどを複雑な思いで見ていました。なお陸前高田ユースは震災の遺構としてそのままの姿で残すことになったようです。
奇跡の一本松を見終えた後は近くにある陸前高田津波伝承館を見学して次の目的地に向かいました。
今年(2024年)の夏はBRTに乗り鹿折金山跡、大谷金山跡を訪れました。これらについては別途ご紹介したいと思います。