BRTで行く鹿折金山跡 ~NEW!~
<カテゴリ:自然、文化・遺産>
2024年の夏、東日本大震災で被災した旧大船渡線、旧気仙沼線を引き継いだBRTに初めて乗りました。実際に現地に出向いてBRTに乗った時の状況などは、BRTで行く奇跡の一本松で触れていますので、ご参照頂ければと思います。
翌日、その足でBRT大船渡線に乗り鹿折金山跡に出向きましたので、ここでは鹿折金山、並びにそこまでのアプローチ方法についてご紹介させて頂きたいと思います。
鹿折金山について
最初に鹿折金山について簡単にご紹介させて頂きたいと思います。
中尊寺の金色堂などの金は、岩手県や宮城県北部を中心とした気仙地方で採掘されたと言われています。昔から資源が少ないと言われた日本で、実は金が産出されていたというのは一概に信じがたい話ではありますが、ベネツィアの商人マルコポーロは、中世、中央アジアや中国を紹介したかの有名な「東方見聞録」の中で、日本のことを「東方に国あり、その名をジバングという。特に驚くべきことは金の多いことである」と紹介しています。マルコポーロは実際に日本に来たわけではないようなので、この話の真意についてはいろいろ説があるようですが、当時の日本は金の産出量が多かったことは確かなようです。
このあたり一帯は、約4億5千万年前から1億年前(中生代前期白亜紀)に起きた火成活動で発生したマグマの熱などによって生成された鉱脈が眠る地質が広がっており、一説によると100近い金山跡があるようです。その中でも有名なのは、玉山金山、涌谷金山、そして今回ご紹介する鹿折金山、その近くにある大谷金山などです。玉山金山については別項でご紹介させて頂いているので参照頂ければ幸いです。ひょっとしたらまだ見つかっていない金が眠っているかもしれませんね。そしてこれらの金山跡は、2019年に「みちのくGOLD浪漫」として「日本遺産」に認定されました。
鹿折金山は江戸時代には発掘が始まったと言われています。明治時代に入ると採掘が本格化してきて、多い時には600人もの人が働いていたとされています。そして1903年(明治36年)には重さ2.25kg、金含有率83%という金塊が産出されました。いわゆるモンスターゴールドと呼ばれている金塊です。モンスターゴールドはセントルイス万博博覧会にも出展され、青銅メダルと大賞状を獲得しました。
BRTの盲腸線とは
次にBRT大船渡線です。鹿折金山跡の最寄りの駅(注:BRTはバス路線ではありますが、停留所を「駅」と呼ぶようです)はBRT大船渡線の「上鹿折駅」なのですが、実は時刻表を調べたところ、どうしても「上鹿折駅」に向かう方法がわかりませんでした。もしお手元に時刻表をお持ちであれば見て頂きたいと思いますが、BRT大船渡線のすべての便の「上鹿折駅」の到着時刻が「-」となっているのです。このマークは特急列車が通過する時などでよく見かけますが、すべての便が「-」なのです。どうしてそうなっているのか、これでは「上鹿折駅」に行くことが出来ないと思い、現地でJRの職員に聞いてみました。すると「ああ、そこは盲腸路線になっているんですよ」と図に書いて丁寧に説明頂き、ようやく理解できました。その時の図を再現して少し脚色したものが下図の通りです。もし皆さんが同じようにBRT大船渡線を使って鹿折金山跡に出向くことがあれば、是非、ご参考に頂ければ幸いです。
図1.BRT大船渡線と周辺関連図
・まずメインとなるBRT大船渡線(気仙沼駅から盛駅間)は、黒字で書いた「①BRT大船渡線」です。
・次に「①BRT大船渡線」の途中駅である「鹿折唐桑駅」と「陸前高田駅」からそれぞれ上に延びている短い路線があることがおわかり頂けると思います。これがJRの職員がおっしゃっていた盲腸線です。
・ここまではなんとなく想像していた範囲ですが、話が複雑になるのは陸前高田駅から陸前矢作駅に伸びている路線は同じ「BRT大船渡線」としてJRの時刻表にも記載されているのですが、鹿折唐桑駅から上に延びている路線(青色)は、ミヤコーバス(宮城交通バス)の「鹿折金山線」という路線として運行されているということです。これではいくらJRの時刻表を見ても、すべてのBRT大船渡線の「上鹿折駅」が通過マークである「-」となっていたはずです。ミヤコーバスの時刻表を見る必要があったのです。そしてさらにわかりにくいのは、気仙沼駅前から上鹿折間はミヤコーバスの路線であるものの、「BRT大船渡線」として運行しているということです。ちなみに上鹿折駅から先の鹿折金山駅(今回の目的地)までの区間はBRT路線ではありません。
・さらに青色の路線である「②ミヤコーバス鹿折金山線」は、気仙沼駅前から上鹿折間は「BRT大船渡線」として運行といいながら、JRが運行する経路「①BRT大船渡線(気仙沼駅~鹿折唐桑間)」とは全く別の経路を辿るということです。すなわちJRが運行する経路(気仙沼駅~鹿折唐桑間)は専用道が整備されており、「①BRT大船渡線」はその専用道を走行するのですが、「②ミヤコーバス鹿折金山線」はすべて一般道を走行するのです。
始発駅も「①BRT大船渡線」が「気仙沼駅」であるのに対して、「②ミヤコーバス鹿折金山線」は気仙沼駅から少し離れた「気仙沼駅前」という停留所になっているということです。さらにここは始発駅ではありません。従って、気仙沼駅でいくら「②ミヤコーバス鹿折金山線」を待っていても永遠にバスは来ないことになります。
こういった内容は、現地で説明を聞いて改めて時刻表などを見ると理解できるのですが、とても外部の者がJRの時刻表を見るだけではわかりませんでした。是非、関係部門での善処をお願いしたいところです。例えばBRT大船渡線の時刻表に、ミヤコーバスの時刻表を記述するなどすれば随分わかりやすくなると思います。
なお少し余談になりますが、旧JR大船渡線は、東日本大震災により多くの線路や駅舎が流されてしまいました。震災前までは、旧JR大船渡線は、「図1気仙沼駅⇒(黒字で書いた路線)⇒鹿折唐桑⇒鹿折金山⇒(赤字で書いた路線)⇒陸前矢作駅⇒(黒字で書いた路線)⇒陸前高田駅⇒盛駅」を結んでいました(厳密には違っているのですが、ここでは詳細は省略します)。
そうです。旧JR大船渡線は、現在の①BRT大船渡線(図1の黒字部)ではなく、山側を通っていたのです。現在の①BRT大船渡線は復興道路といった高速道も通ります。
それに対して陸前高田市は、住民の要望として陸前矢作駅から上鹿折駅に通じる区間(図1の赤字部)の専用道化を要請しているようですが、JR東日本は消極的のようです。ちなみに別ページでご紹介した玉山金山の最寄り駅である竹駒駅は、陸前矢作駅のお隣の駅になります。きっとこのあたりは、以前はゴールドラッシュのメイン街道であったことが想像できます。
これも余談ではありますが、BRTの駅の多くがバス停であるのに対して、陸前高田駅はかつてのJRの駅を彷彿とするような駅舎がたっています。ただしもちろんJRの線路はなく駅舎のみです。
鹿折金山跡を訪れる
さてその日、午前中に奇跡の一本松を見たあと、鹿折金山に向かいました。旅の起点は気仙沼駅といいたいところですが、上記図1にも記述した通り、「②ミヤコーバス鹿折金山線」は気仙沼駅ではなく、少し離れた気仙沼駅前を通るということです。万が一、陸前高田から気仙沼まで戻り、気仙沼駅近くのバス停がわからなかったらいけないので、当日は途中駅の「八幡大橋駅」で降りて、そこから鹿折金山跡まで歩くことにしました。なにしろ「②ミヤコーバス鹿折金山線」は1日5本しか運行していませんので、万が一、気仙沼駅でバス停を探すのに時間を取られてしまい、予定のバス(BRT)に乗れなかったら2時間待ちとなるからです。ちなみに鹿折金山へ最も近いと思われるバス停は「鹿折唐桑駅」ではなく「八幡大橋」です。距離にして6.6km、徒歩約1時間半です。
当日、気仙沼市35度の猛暑日の中、汗だくになり、鹿折金山跡まで歩くこと1時間半、鹿折金山跡に到着しました。そこには最近建て替えられた資料館とその一世代前の旧資料館がありました。資料館にはモンスターゴールドの写真(もちろん金塊本体ではありません)や、当時の金鉱石、トロッコ、工具、各種文献などが展示されていました。また資料館の職員の方が展示内容だけではなく、資料館の外に出て資料館の周りの岩石などについても大変に丁寧に教えて頂きました。
資料館の向かいには旧資料館がありましたが、今では閉鎖されているようです。外から中を見るだけでした。少し余談になりますが、外から旧資料館を覗いていた時、私の足元をニホントカゲが通ったようです。私は全く気付きませんでしたが、資料館の職員の方に教えて頂きました。ニホントケゲは(準)絶滅危惧種に指定されているとのことです。
資料館のお隣には金山神社と海外から寄贈されたという世界最大級の岩塩や鹿折金山の水がありました。少し残念だったのは資料館から徒歩30分~40分のところには、かつての坑道跡などを見ることができたのですが、帰りのバスの時刻の制限のため出向くことができなかったということです。さすがに戻りはバスを使いたい気分でした。
帰りのバスが来るまでのわずかの時間を利用して、旧大船渡線沿い(上記図1の赤線部です)を少し歩いてみました。この先には別ページでご紹介した玉山金山があります。きっとこの旧大船渡線沿いは、かつて多くの人がゴールドラッシュを夢みてきた街道に違いない、ひょっとして今でもまだ見つかっていない金鉱が眠っているのではないかという空想にかられてしまいました。そうこうしているうちに気仙沼駅方面へ向かうバスが到着し帰路についたのです。
皆さんもかつての「黄金の国にほん」を支えた金山跡を是非訪れて頂いて、多くの人がゴールドラッシュを夢みたであろう、いにしえのロマンに思いをはせてみては如何でしょうか。
<関連情報>
①是非、立ち寄りたい周辺のお勧めスポット(もちろん鉄道とバスと徒歩で)2024/11/10更新!
大谷金山跡
ゴールドモンスターが有名になったため、気仙沼地区の金山といえば鹿折金山が取り上げられる場合が多いようですが、実はその歴史と発掘量などから同じ気仙沼にある大谷鉱山も負けてはいません。その歴史は前九年の役(1050年頃)以前まで遡り、平泉の黄金文化を支えたとも言われています。明治に入り本格的な発掘作業が始まり、最盛期の1935年~1945年には年間約1トンの金を産出し、従業員も1500人規模を数え、日本有数の金山として栄えましたが、その後、埋蔵量枯渇のため1976年に閉鎖されました。1976年といえば約50年前のことであり、つい最近まで金山が営業していたということになります。
もちろん鉱山跡には入れませんが、BRT気仙沼線の小金沢駅から徒歩28分のところに大谷鉱山歴史資料館があります。そこでは鉱山で使われていたトロッコなどの道具類が展示されていて、金山の歴史を学ぶことができます。
それにしても気仙沼といえば、水揚量は日本有数を誇り、遠洋漁業を中心とした日本を代表する漁業の町という印象が強いのですが、実は鹿折金山、大谷金山などを抱え、黄金の国にほんを支えた町でもあるというのは大変に興味深いと思いませんか。