作成:2025/9/1
内蔵と漫画のある増田の街並みを歩く NEW!
(1997年8月、2025年6月)
<カテゴリ:歴史・文化>
蔵と漫画のある街並み
秋田県南部にある横手市に増田町という地区があります。かつては増田町という独立した行政区でしたが、御多分に洩れず平成の市町村合併により横手市に編入されました。この増田町にはこれまで1度訪れたことがありますが、その時には後でご紹介する増田まんが美術館(現在の「横手市増田まんが美術館」)が出来た頃でした。その後、増田町は内蔵のある町としても知られていることを知り、今回、改めて訪れました。
簡単に増田町についてご紹介させて頂きます。増田町の起源は、貞治年間(1362年~1367年)に小笠原義冬が増田城を築いたことが始まりと言われています。その後、増田城は壊されたようですが、もとより増田の町は交通の要地であったため、商業の拠点として繁栄してきました。その頃に始まった朝市は現在でも続いています。明治以降も生糸や葉たばこの流通の地、酒造業の生産地としても栄えてきました。
漫画のある町
さてこの増田の町ですが、内蔵と漫画のある町として知られています。漫画の町というと誤解を招きそうですが、増田町では「漫画」と次にご紹介する「内蔵」を融合した町づくりを進めています。
漫画の代表が1995年に開館した「増田まんが美術館」です。国内で初めての漫画の原画をテーマにした美術館とのことです。釣り漫画で有名な矢口高雄がこの増田町出身ということもあり、矢口高雄の原画が多く収蔵されていますが、矢口高雄以外にも多くの漫画家の原画が収蔵されています。
最初に増田の町を訪れたのは、このまんが美術館が開館してから2年後の1997年でした。その時はまんが美術館に訪れることを目的に、昼過ぎに着いた後、かつて愛読していた懐かしの野球漫画をなんと午後一杯読んで過ごしました(過ごしてしまいました)。その後の市町村合併により現在では「横手市増田まんが美術館」となりました。
内蔵を生かした街作り
増田町の多くの家屋では、雪から守るために家屋の中に内蔵があるという特徴があります。ただ各家屋は間口が狭く奥行が長いため、内蔵が鞘と呼ばれる上屋に覆われており、通りからは内蔵が見えない構造になっています。
確かにこれまで訪れてきた喜多方、村田といった蔵のある町では、蔵自体が独立していて道路にも面していました。それに対して増田町の蔵は、一見、外からは窺い知ることができません。
現在では内蔵のある家屋は約50ほどあるということです。またその多くが国の重要文化財、登録有形文化財等に登録されています。そしてこれらの伝統的な商家に設けられている内蔵を、漫画の原画の収蔵庫として活用することにより、「伝統的な街並み」と「新しい漫画文化」を融合させるという極めて独特の町作りが進められてます。
ただ1997年に増田の町を初めて訪れた時は、その美しい街並みと2年前に出来た増田まんが美術館についての印象はありますが、内蔵についての記憶と記録がありません。少し調べてみたところ、本格的に内蔵のある街として整備し始めたのが2000年代に入ってからのようです。
きっかけになったのが増田町文化財協会が発行した写真集「増田の蔵」が大きな反響を呼んだことのようです。その後、蔵の会の発足、漆蔵資料館の公開、登録文化有形財としての登録、「蔵の日」の制定などが続き、2013年には国の重要伝統的建造物群保存地区選定に至りました。ちなみに国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されたのは、秋田県では、角館に続き2番目になります。また毎年10月に行われる「蔵の日」には内蔵を持つ家屋が一斉公開されるようです。
増田を訪れる
私はどうも以前から蔵のある静かな街並みに魅せられているようで、これまでにも宮城県の村田町や福島県の喜多方等を訪れてきました。そして増田の町も以前に訪れた時には気づかなかったのですが、内蔵のある町と知り、改めて訪れることにしました。
旅の起点は奥羽本線の十文字駅です。「十文字」という名称は、羽州街道と増田街道が交わる辻で増田十文字と呼ばれていたようです。増田の中心街は十文字駅から3.2km離れたところにあります。徒歩圏内ではありますが、あまり便数が多くはないもののバス路線も通じています。私が訪れた時は、行きはバスの時刻がうまく合わず徒歩、帰りはバスの時刻に合わせてバスに乗りました。徒歩では40分でした。
増田の町では国の重要文化財、登録有形文化財、横手市の指定文化財などが数多くあります。ここでは蔵の家屋の代表として、国の重要文化財でもある「佐藤又六家」、そして「横手市増田まんが美術館」をご紹介させて頂きます。
佐藤又六家(国の重要文化財)
増田町には国の重要文化財として2件の家屋が選定されており、その1つが佐藤又六家です。ちなみにもう1件が旧松浦家住宅で、通常は非公開ですが、年に1度の「蔵の日」には見学することができるようです。
佐藤又六家は江戸時代から続く旧家で、増田銀行(現在の北都銀行)の設立発起人の1人にも名を連ねています。ここでは当主と奥様が分担して観光客を案内されていました。私が訪れた時も最初は奥様に案内頂いていましたが、途中で別の観光客がきたため、当主にバトンタッチするというコンビネーションのよさでした。
佐藤又六家の特徴は、母屋がなく道路に面した店舗部分が既に蔵になっているということです。先ほど増田の家屋の特徴は母屋の裏に内蔵があると申しあげましたが、佐藤家では母屋がなく、奥行きが非常に深い作りとなっているため、奥にさらに倉庫としての蔵が繋がっていました。釘を一本も使っていない作り、古い時計や内部に使用されている柱、梁などは大変に立派なもので見応え十分でした。
そして蔵が生活空間になっており、現在でも住いの場として蔵を活用しているということです。当主いわくこれも増田の中では珍しいようです。内部が生活空間になっていると聞き、写真を撮ることに少し躊躇しましたが、当主のどうぞどうぞというお言葉に甘えて写真撮影させてもらいました。
蔵の中もきれいに手入れもされています。以前にテレビの取材が入った時、「この日のために掃除したでしょう」と出演していた俳優がひやかしで言った時、「掃除は毎日行っているので、今度は是非抜き打ちで来てください」と切り返しされたのは有名な逸話のようです。ご参考までに天皇陛下も訪れたとのことでした。
横手市増田まんが美術館
横手市増田まんが美術館は、1995年に漫画の原画をテーマとした日本で初めての美術館として開館しました。現在では、国内外の漫画家約180人近くの原画を収蔵しています。1997年に最初に訪れた時は少し勘違いをしていて、増田町出身の漫画家矢口高雄の功績をたたえる美術館と思っていましたが、矢口高雄の漫画はもちろん、多くの漫画の原画を収蔵する美術館です。当初は増田出身の矢口高雄の名前を冠につける話もあったようですが、ご本人からお断りがあったとのことです。
館内では原画の整理や保存作業などをガラス越しに見学することができます。もちろん私待望の(笑)漫画ライブラリとして2万冊以上の漫画本が置かれており、自由に閲覧できます(冊数だけでいえば漫画喫茶の方が多いところもあるかもしれませんが)。漫画の制作の過程や保存作業、そして漫画本の閲覧など、漫画好きであれば一日時間を過ごすことができそうです、
驚いたこと
今回、18年ぶりに増田の街を訪れました。前回は気づかなかった多くの内蔵があり、蔵のある街並みファンとしては満足いくものでしたが、とても1日で廻り切ることが出来ませんでした。ここでは漫画美術館と蔵の代表として佐藤又六家をご紹介しましたが、増田の町には主に中七日町通り沿いに多くの蔵のある家が建ちならんでいます。有料/無料、公開/非公開、事前予約必要/不要などいろいろありますので、事前にご確認の上、皆さんもこの漫画と内蔵のある増田を訪れてみませんか。
1点、驚いたことがあります。食事の値段が非常に安かったことです。昼食に名物「横手焼きそば」を食べましたが650円でした。休憩にコーヒーとチョコケーキを食べましたが、合わせて550円でした(いずれも2025年時点)。物価高に悩む毎日を送るものとしては信じられない値段です。増田地区に限った値段なのか、横手市全体なのかわかりませんが、食事代が安かったため大変に助かりました。
<関連情報>
①是非、立ち寄りたい周辺のお勧めスポット
真人公園
増田の中心地から徒歩20分のところに真人公園があります。この公園は大正天皇の即位を祈念して造られた由緒ある公園です。桜の名所としても知られており、日本さくらの会が選定する「日本さくら名所100選」にも選定されています。秋田県で選定されているのは、秋田市の千秋公園、角館(仙北市)の桧木内川堤、真人公園の三か所だけです。桜だけではなく、梅、あやめ、つつじなど四季を通して楽しませてくれます。