作成:2025/5/15

慧日寺 ~蘇った会津の古刹と飯豊山へその緒~ NEW!/update!

<カテゴリ:文化遺産>


慧日寺跡

 会津地方に慧日寺という古刹があります。このお寺は平安時代に徳一という僧により開かれたお寺で、一時は4000近くの寺院を抱える一大勢力と誇っていましたが、源平の合戦で平家側についたあたりから急速に減退し、明治維新の廃仏毀釈によりほとんど消滅となりました。その後、周辺住民の希望もあり再起となった歴史があります。こんなことってあるのでしょうか。平安時代初期の遺構として国の史跡にも指定されています。かねてよりその歴史の深さと関連する方の熱意に惹かされており、是非、訪れたいと思っていました。今回、会津地方を訪れる機会がありましたので、是非、その内容をご紹介させて頂きたいと思います。

 

恵日寺
恵日寺

 最初に恵日寺の歴史について簡単に触れたいと思います。恵日寺は807年に僧・徳一により開かれた真言宗の寺院です。かつては慧日寺と称していました。このページの中でも慧日寺と恵日寺が混同しているかもしれません。ご容赦ください。

 さて徳一は、もとは奈良の僧でしたが、理想の仏法を極めるために会津の地を訪れ、霊峰磐梯山の山すそに慧日寺を開祖して、教学の研鑽に励みました。慧日寺の興隆を通してさまざまな文化や技術がもたらされたことより、会津の仏教文化発祥の地とも称されているようです(恵日寺の紹介カタログより)。また都から遠く離れた会津の地に居ながらにして、徳一のことはあの天台宗の宗祖最澄や真言宗の宗祖空海にも知られることになり、特に最澄とは三一権実の諍論(さんいつごんじつのそうろん)と呼ばれる大論争を拡げました。

磐越西線磐梯駅
旅の起点磐越西線磐梯駅

 残念ながら私には難しすぎて三一権実の諍論と説明できそうにありませんが、わが国の古代仏教思想の進化に大きく寄与したと恵日寺の紹介カタログに記述されています。徳一は842年に死去しましたが、その頃には寺僧300、寺院3,800を数えるほどに一大勢力となっていたようです。また恵日寺は磐梯山や吾妻山といった山岳信仰の盛んな山が近くにあり、この山岳信仰に大きな役割を果たしたと言われています。そして何と飯豊山のへその緒に間接的に関係しているのではという情報を頂きました(25/6/25更新 脚注ご参照

 その後、源平合戦では平家側に加担したことをきっかけに慧日寺は急速に勢力が衰退していきました。ただ明治初期の廃仏毀釈まで1000年以上の歴史が続いたのです。廃寺後、昭和45年に国の史跡に指定され、その広大な敷地が貴重な文化遺産として保存されています。主要な史跡としては、金堂が2008年、中門が2009年、薬師如来坐像が2018年にそれぞれ復元・公開されました。さらに現在でも復元が進められています。

 最寄りの駅は磐越西線の磐梯駅で、徒歩約20分とアプローチも非常に便利なところにあります。さらに整備が進んだ時をみて再度訪問したいと思います。皆さんも是非、会津の仏教文化発祥の地とも称されている恵日寺を訪問してみては如何でしょうか。

 

福島を歩くに戻る

津島祇園(2024年春撮影)

薬師如来坐像

これまでに何度か焼失・復元を繰り返してきたが、明治5年の焼失後、150年にわたり焼失の状態が続いていた。その後、平成27年より磐梯町として大学と連携して創業当初の復元に取り組み、3年の月日をかけて復元に成功し、平成30年7月30日より公開された。

子愛観音堂

恵日寺金堂

薬師如来坐像がある。平成20年(2008年)に復元が完了して一般公開された。


津島祇園(2024年春撮影)

講堂跡

食堂跡

子愛観音堂

徳一廟(建立は平安時代に遡る)



<関連情報>

飯豊山へその緒

①飯豊山「へその緒」の端緒? 更新25年6月25日

 山好きの知り合いから恵日寺について興味深い情報を頂きました。直接的ではないものの恵日寺は飯豊山のへその緒の端緒になったのでは?というものです。

 皆さんは飯豊山のへその緒をご存知でしょうか。飯豊山は新潟県と山形県に跨る巨大な山塊で日本百名山にも選定されている名峰です。実は飯豊山は新潟県と山形県に跨っているのですが、この頂上である飯豊山神社には福島県側から幅1mの細い山道が通じていてこの山道は福島県に帰属するというものです。そしてこの細い道がへその緒と呼ばれているものです。

 

飯豊山へその緒

 

 なぜこのような「へその緒」が出来たのでしょうか。もともと新潟県境にある東蒲原郡は、越後の国(すなわち今の新潟県)に属していましたが、1172年に越後の豪族であった城氏が隣接する会津地方の恵日寺の僧に自身の伯母を嫁がせ、それを機会に東蒲原郡を恵日寺に寄進しました。以来、東蒲原群は会津の支配下におかれることになりました。その後、明治に入り、東蒲原郡が新潟県に編入することになった際、会津地方の住民が反発して、これまでにいかに飯豊山神社を管理してきたことを示す歴史的資料などを提示し、最終的に政府は麓からの登山道と飯豊山頂付近は福島県に属すると認め、世にも奇妙なへその緒が誕生したのです。

 このように恵日寺は現在の「へその緒騒動」には直接関係ありませんが、そのきっかけになったのが1172年に越後の豪族であった城氏が東蒲原郡を恵日寺に寄進したということのようです。なるほど大変に興味深いお話を頂きました。

 

磐梯山慧日寺資料館
磐梯山慧日寺資料館

②是非、立ち寄りたい周辺のお勧めスポット

<磐梯山慧日寺資料館>

慧日寺に隣接して慧日寺繁栄の基礎となった山岳信仰に関する資料、慧日寺にまつわる文化財、徳一の足取りなどが展示されています。また資料館の敷地には磐梯山の外輪山を形成する厩山山頂にあった馬頭観音堂が復元されています。見所満載でしたが、残念ながら撮影禁止とのことでした。磐梯駅から徒歩20分。