作成:2021/8/4

 

夜行列車から新幹線へ

~ああ!急行八甲田!~

 

<カテゴリ:鉄道>


 東北に通い始めた1984年から約40年近く経過したこともあり、随分と旅のスタイルが変わりました。ここではそれを旅の風景と呼ぶことにします。当時を思い出しながら、旅の道具である、「鉄道」「バス」「徒歩」を中心に、流行りのbefore/afterの形式で触れたいと思います。

 今回は旅の手段の中から「鉄道」に焦点を当てて、その変化について振り返りたいと思います。

 

八甲田山水連沼・春
八甲田山水連沼・春(1987年撮影)

周遊券の活用

 

  東北に通い始めたのは、1984年の夏、社会人になって2年目の24才の時です。当時は、毎週末のように東北に出かけていたため、少しでもお金を節約をするために、行き帰りは夜行の急行列車を使っていました。なにしろ周遊券を使えば、自由席であれば急行券なしで上野から青森まで夜行の急行列車に乗ることができました。そのため行先をあまり考えず、まず夜行の急行列車の自由席に飛び乗り、その後、列車の中で行先を考えたこともありました。 

 

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八甲田山水連沼・夏
八甲田山水連沼・夏(1987年撮影)

急行八甲田に乗り八甲田山に登る

 

 特に「急行八甲田」には、何十回、いえ当時はほぼ毎週末往復ですから何百回とお世話になりました。最初の頃は、青森県にある八甲田山の四季おりおりの時期に訪れていたこともあり、「急行八甲田に乗り、八甲田山に登る」が私の定番でした。ただ急行八甲田で上野から青森まで行く場合、12時間近くもかかります。加えて84年頃の列車は、12系客車という昔ながらの向かい合わせの4人席で、座席も固定型でした。そのため、4人席の定員が埋まってしまうと、足も投げ出せず、眠る体勢が取れないため、一睡もできなかったこともありました。それでも若さゆえの体力があったのか、全く苦にはなりませんでした。

 

八甲田山水連沼・秋
八甲田山水連沼・秋(1986年撮影)

  むしろボックス席の向かいや隣に若い女性が座った時のときめきは、夜行列車ならではです。また出発時や停車駅で聞こえる車内放送なども大変に楽しみにしていました。密かに録音をしていましたが、今ではその放送音が、youtubeとしても投稿されているため、時々、楽しんでいます。本当に便利な時代になりました。

 上野で急行列車に乗り遅れた時は、東北新幹線で宇都宮まで追いかけて、そこで夜行の急行列車に乗り換えたこともありました。

 

八甲田山水連沼・初冬
八甲田山水連沼・初冬(1987年撮影)

  毎週のように夜行列車に乗ると、日々長くなる(または短くなる)日の長さを感じることができました。よく「日が長くなりましたね(短くなりましたね)」という会話が日常的に行われていると思います。それは日の入りの時間から感じる取る印象だと思います。一方、毎週、夜行列車に乗っていると、日の出の時間からそれを感じることができました。急行八甲田は大体、上野を21:15頃に出発して盛岡には翌朝6時に着いていました。1年で一番日が長くなる6月から7月だと一ノ関を過ぎるあたりの明け方4時には既に日が明け始めていました。一方、一番日が短い12月頃だと6時に盛岡に着いた時もまだ辺りは真っ暗でした。1週間でおおよそ5~6分、日の出が早くなる(または遅くなる)、そのような季節の移り変わりを夜行列車から感じ取るのも大きな楽しみでした。

 

八甲田山水連沼・晩冬
八甲田山水連沼・晩冬(1986年撮影)

  一方、東北に通い始める2年前の1982年には、東北新幹線が大宮から盛岡まで暫定開業しました。暫定開業という言葉をあまり聞きなれない方もいらっしゃると思うので、少し補足すると、東北新幹線開業当初は今のように東京駅が始発駅ではなく、すべて大宮駅始発でした。いずれ東北新幹線が、上野駅さらには東京駅に延伸することを見越して、「暫定開業」と呼んでいました。ただ当時は、乗り遅れた急行列車を新幹線で追いかける事はあっても、それ以外、東北新幹線を使うことは全くありませんでした。車を使わない理由と同じで、道中を楽しみたかったのかもしれません。

 

八甲田山毛無岱湿原・晩冬(1986年撮影)
八甲田山毛無岱湿原・晩冬(1986年撮影)

押し寄せる時代の波

 

 それでも時代の波は容赦なく急行列車にも押し寄せてきます。80年代は多くの人でにぎわっていた夜行の急行列車も、90年代に入ると空席が目立ち始めました。お蔭で、寝る体勢に余裕が出来、ぐっすり眠ることはできましたが(笑)。そして定期便で運行されていた急行列車も、GWやお盆の時期のみの臨時便になり、ついにはすべて廃止となったのです。急行八甲田の定期便最終日には、上野駅まで出かけ、その最後の雄姿を見届けました。急行八甲田には、何百回とお世話になったこともあり、思わずこみあげてくるものがありました。

 

八甲田山毛無岱湿原・夏(1985年撮影)
八甲田山毛無岱湿原・夏(1985年撮影)

夜行列車から新幹線へ

 

  急行列車が廃止された後は、東北新幹線を使って出かけるようになったのですが、これが実に便利で、おまけに楽です。それまで上野から盛岡まで、夜もほとんど眠れず9時間近くかかっていたのが、なんとわずか3時間(注:脚注ご参照)で到着するではありませんか。その後、東北新幹線は、大宮始発から上野始発、そして東京始発となり、一層便利になりました。さらには山形新幹線、秋田新幹線も開業し、東北新幹線も新青森、北海道まで延伸しました。これにより東北6県すべてに新幹線が張り巡らされたのです。

 

 現在のように日本中に高速バスが走っていれば、急行列車が廃止された後の選択肢として、夜行バスがあったかもしれません。ただ当時は高速バスも少なく、なによりも既に私の体は、新幹線の便利さに侵されてしまっていたのです。もし、今、急行八甲田が復活したとしても、恐らく新幹線を使うような気がします。

 

八甲田山毛無岱湿原・秋(1986年撮影)
八甲田山毛無岱湿原・秋(1986年撮影)

ああ!急行八甲田!

 

 まさか過去の歴史をHPにするなど、当時は思いもしなかったため、急行列車の写真はありません。特に急行八甲田には何百回もお世話になりながら、1枚の写真もないのは自分でも信じられません。きっと生活の一部に溶け込んでいたからかもしれません(丁度、通勤電車の写真など撮らないのと同じです)。それでも急行八甲田の定期便最終日に、その雄姿を写真に収めなかったことを、今でも悔やんでいます。

 

ああ!急行八甲田!出来ればもう一度会いたい!

 

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<関連情報>

追加情報 ※2023年5月更新

2023年になって初めて最速のはやぶさに乗り、東京から盛岡へ出かけました。なんと乗車時間が2時間10分で盛岡に到達したため、驚いてしまいました。改めて過去の時刻表で最速時間を調べてみたところ、以下の通りでした。もちろん新幹線の最高速度がアップしたことや、速達タイプの列車(東京から盛岡までは上野と仙台した停車しない列車)が出たことなどが影響しているとは思いますが、それにしても時間短縮には驚くしかありません。

 1983年11月時点:大宮~盛岡3時間17分

 2011年8月時点:東京~盛岡2時間54分

 2023年5月時点:東京~盛岡2時間10分