白河の関 ~2022年夏ついに深紅の大優勝旗は越えた【21/5/16訪問】

<カテゴリ:文化・遺産>


 「白河の関」は、「鼠ケ関(ねずがせき)」、「勿来の関(なこそのせき)」と共に、奥州三古関として知られています。特に他の2つと比較して、白河の関は「ついに優勝旗は白河の関を超えた」という言葉に代表されるように、東北全体の玄関口としてあまりにも有名です。古くは陸奥への関門としてだけではなく、歌枕としても数多くの歌人により詠まれてきた場所です。また義経伝説の地としても知られています。

白河の関
白河の関

 このブログでご紹介するスポットは、観光ガイドにはあまり記載されていないものの、出来るだけバスと徒歩で行ける隠れた場所を選んでいるつもりですが、今回、次の2つの理由により、この有名な「白河の関」を載せることにしました。

・名前は有名にもかかわらず、地元の方とお話しをする限り、意外と地元の方も場所をご存知ない方が多い。

・個人的になぜこの場所に関所があるのか非常に興味がある。

特に2点目については、関所は古来より人や物資の往来をチェックする目的としているため、メインの街道沿い(昔でいえば奥州街道沿い、現在の国道4号線沿い)にあるものと思っていました。ところがこの白河の関は、白河市の中心地からバスで30分も要する場所にあり、ここが本当に昔からの関所だったのだろうかという、ほとんど疑問に近い関心があったからです。

 この疑問を解消すべく、早速、現地に出向きました。

JR東北線白河駅
JR東北線白河駅

 旅の起点は、東北新幹線の新白河駅(もしくは東北線の白河駅)です。駅から約30分、バスに揺られて向かいます。

 余談になりますが、バスの途中で面白いものを発見しました。それはJRバス専用道路というものです。ちなみにJRバスは今回乗車した福島交通バスと並行して走っています。都会なら混雑を避けるために、バスの専用レーンを見ることはありますが、このような地方(白河市の皆さんご免なさい)で、しかも専用レーンではなく、バス専用の道路があるのは驚きとしか言いようがありません。どういう背景で出来たのでしょうか。非常に興味があります。

 バスに揺られること30分、白河の関跡に到着しました。予想通りの山の中です。メイン街道である奥州街道から離れたこのような所に、本当に関所があったのでしょうか。本当に人の往来をチェックしていたのでしょうか。当初の疑問は、ますます増してきました。

 そこに記載されている案内によると、当初は蝦夷(えみし)の南下を防ぐための砦として設置されたようです。8~9世紀頃には、既に人や物資の往来を取り締まる記述があったようですが、10世紀には早くも歌枕としての憧景の地へ変化していたようです。その後、約1000年の時を経て、寛政12年(1800年)に「寛政の改革」で有名な白河藩主松平定信が検証を行い、空堀・土塁が残るこの地が白河の関であると断定したようです。さらに近年になり、昭和34年から5年に渡り発掘調査が行われ、竪穴住居跡や発立柱建物跡などが確認されたとのことです。このような遺跡と立地的考察から、ここが白河関跡の「条件にかなう点が多いとの結論になったようです。

 

 このように完全な事実に基づいた裏付けがない状況を見ると、やはりメイン街道から遠く離れたこの地が、かつての関所とは十分に納得することが出来ませんでした。なお本稿を作成するために、直近で確認したところ、隣接する西郷村の国道4号線沿いには、福島県警が通行車両などを取り締まる白河検問所があり、「平成版白河の関」と呼ばれているようです。白河の関に対する私のイメージに近いものがあります。

 なお関跡を境内とする白河神社は、源頼朝の挙兵を知った義経が鎌倉に向かう道中、勝利を祈願したと伝えられています。また松尾芭蕉らの俳人も多く訪れ名歌を残しました。このようなところから、「関所」という役割というよりも、「歌枕」としての印象の方が強く、そのイメージが増大していったのではと思ってしまいました。

 近くには白河の関跡公園が整備されていて、売店などもあり、家族連れには丁度よい憩いの場になっていました。もう1ケ月早ければ「カタクリコ」の群生が見られたようで、残念でした。

 

白河の関森林公園
白河の関森林公園
白河の関跡公園
白河の関森林公園

 白河の関を見終えた後は、これも是非訪れたかった「南湖」を訪れました。この公園は江戸時代に同じく松平定信によって作られた、なんと日本最古の公園ということです。南湖については、また別の場所でご紹介をしたいと思います。

 実はこの後が大変でした。以前はその地を訪れると、まず駅にある観光案内所に行き、そこで地図をもらい、その地図を頼りに目的地を訪れたものです。今はMAPアプリさえあれば、ほぼ全国どこでも案内してくれます。本当に便利な時代になりました。ただ時々、MAPはとんでもない経路を案内してくれます。事前の調査では、南湖から東北線の白河駅までは徒歩約30分の予定でしたが、MAPが示す経路を頼りに歩くと、とんでもなく遠回りをさせられてしまい、1HR以上もかかってしまいました。もし以前のような地図を頼りにした歩きであれば、もっと早く到達していたに違いありません。これについても、別の機会で触れたいと思います。

 1点、驚いたことがあります。白河駅に近づくにつれ、スナック街や飲み屋などが目についたのですが、ほとんどの店がコロナの感染防止を理由に閉まっていたことです。その時点で福島県には緊急事態宣言等は発令されておらず、従って自主的に店を閉めていたことになります。恐らく国や県からの補助もない状態で、コロナ禍を理由に店を閉めていたのでしょうか・・・。東京に住む私としては、複雑な思いになりました。

 


<関連情報>

①追伸 UPDATE!(22/8/25)

 2022年夏、ついに深紅の優勝旗が白河の関を越えました。報道等で白河の関を前にパブリックビューイングで応援している中継があり、そのフィーバぶりに思わず笑ってしまいました(もちろんいい意味で)。同時に、実は白河の関といえども福島県の最南端に位置しているわけではないので、もし白河の関より南にある福島県の高校が優勝したら、それでも「ついに白河の関を越えた」と言っていたのか、つい屁理屈を考えてしまいました。 

 

②旅程 ※時刻は訪問当日の時刻表です。もし訪れられる場合は最新の時刻表をご参照頂きますようお願いします。

【2021/5/16】

白河駅(13:40)=(福島交通バス)=白河の関跡(14:11)~(白河の関跡、白河の関森公園散策)=白河の関森公園(15:15)=(福島交通バス)=南湖東(15:30)~(南湖散策)~白河駅(16:45)

 

③是非、立ち寄りたい周辺のお勧めスポット(もちろん鉄道とバスと徒歩で)

小峰城

小峰城跡(2021年撮影)

盛岡城、会津若松城とともに東北三名城のひとつと言われている(注:文献により異なる)。天守閣相当の御三階櫓は戊辰戦争の時に焼失されたが、1991年に復元された。小峰城歴史資料館が隣接されていて、小峰城の歴史が展示されている。JR白河駅より徒歩8分

 

南湖

南湖(2021年撮影)

身分の差を越え誰もが憩える「士民共楽」という理念を掲げて、1801年白河藩主松平定信により開園。日本最古の公園と言われている。JR白河駅より徒歩30分。

 


④白河の関