作成:2021/9/12

 

白河の関とBRT

~2022年の夏ついに深紅の大優勝旗は越えた~【2021年5月】

 

<カテゴリ:文化・遺産>


白河の関

 

 「白河の関」は、「鼠ケ関(ねずがせき)」、「勿来の関(なこそのせき)」と共に、奥州三古関として知られています。特に白河の関は他の2つと比較して、「ついに優勝旗は白河の関を越えた」という言葉に代表されるように、東北全体の玄関口としてあまりにも有名です。古くは陸奥への関門としてだけではなく、歌枕としても多くの歌人により詠まれてきた場所です。また義経伝説の地としても知られています。 

関連記事「鼠ヶ関」

関連記事「勿来の関」

 

白河の関
白河の関

  ここで取り上げるお勧めスポットは、観光ガイドにはあまり記載されていないものの、出来るだけバスと徒歩で行ける隠れた場所を選んでいるつもりですが、今回、次のような理由により、この有名な「白河の関跡」を取り上げることにしました。

 

・名前は有名にもかかわらず、地元の方も意外と場所をご存知ない方が多い(ようです)。

・個人的になぜこの場所に関所があるのか非常に関心がある。

 

 特に2点目については、関所は古来より人や物資の往来をチェックする目的として設けられてきたため、メインの街道沿い(昔でいえば奥州街道沿い、現在の国道4号線沿い)にあるものと思っていました。ところがこの白河の関跡は、白河市の中心地からバスで30分も要する場所にあり、ここが本当に昔からの関所だったのだろうかという、ほとんど疑問に近い関心を以前から抱いていたからです。この疑問を確めるため、現地に出向いてみることにしました。

 

白河の関跡を訪れる

 

JR東北新幹線新白河駅
JR東北新幹線新白河駅

  旅の起点は、東北新幹線の新白河駅(もしくは東北本線の白河駅)です。ちなみにこの新白河駅は、新幹線の駅の中で、唯一「村」(西郷村)に設置された駅です。白河の関跡へは、新白河駅(もしくは白河駅)から約30分、バスに揺られて向かいます。

 

なぜバス専用道路がここに?

 

JRバス専用道
JRバス専用道

  バスの途中で面白いものを発見しました。それはJRバス専用道路というものです。正確にいうと当日は、水郡線の磐城棚倉という駅からJRバスを使い新白河駅に向かい、その後、新白河駅から白河の関跡に向かいました。このJRバス専用道を発見したのは、磐城棚倉駅から新白河駅に向かう途中でした。思わず途中下車して写真撮影したのが下の写真です。

 都会なら混雑を避けるために、バスの専用レーンを見ることはありますが、このような地方(白河市の皆さんご免なさい)で、しかも専用レーンではなく、バス専用の道路があるというのは驚きとしか言いようがありません。どういう経緯で出来たのでしょうか。非常に興味があります(2024/10追記:下段の関連情報②ご参照)。

 

白河の関跡にたどり着く 

 

白河の関跡
白河の関跡

  さてバスに揺られること30分、白河の関跡に到着しました。予想通りの山の中です。メイン街道である奥州街道から離れたこのような所に、本当に関所があったのでしょうか。本当に人の往来をチェックしていたのでしょうか。当初の疑問は、ますます増してきました。

 そこに記載されている案内によると、当初は蝦夷(えみし)の南下を防ぐための砦として設置されたようです。8~9世紀頃には、既に人や物資の往来を取り締まる記述があったようですが、10世紀には早くも歌枕としての憧景の地へ変化していたようです。

 その後、約1000年の時を経て、寛政12年(1800年)、「寛政の改革」で知られる白河藩主松平定信が検証を行い、空堀・土塁が残るこの地が白河の関であると断定したようです。さらに近年になり、昭和34年から5年に渡り発掘調査が行われ、竪穴住居跡や発立柱建物跡などが確認されたとのことです。このような遺跡と立地的考察から、ここが白河関跡の「条件にかなう点が多い」との結論になったようです。 

 

十分に納得できず・・

 

JR白河の関跡公園
白河の関跡公園

  このように完全な事実に基づいた裏付けがない状況を見ると、やはりメイン街道から遠く離れたこの地が、かつての関所とは十分に納得することが出来ませんでした。

 なお本稿を作成するために、直近で確認したところ、隣接する西郷村の国道4号線沿いには、福島県警が通行車両などを取り締まる白河検問所があり、「平成版白河の関」と呼ばれているようです。白河の関に対する私のイメージに近いものがあります。

 

 白河の関跡を境内とする白河神社は、源頼朝の挙兵を知った義経が鎌倉に向かう道中、勝利を祈願したと伝えられています。また松尾芭蕉らの俳人も多く訪れ名歌を残しました。このようなところから、「関所」という役割というよりも、「歌枕」としての印象の方が強く、そのイメージが増大していったのではと思ってしまいました。

 近くには白河の関跡公園が整備されていて、売店などもあり、家族連れには絶好の憩いの場になっていました。もう1ケ月早ければ「カタクリ」の群生が見られたようで、残念でした。

 

南湖行きとその後の珍道中 

 

南湖公園
南湖公園

  白河の関を見終えた後は、これも是非訪れたかった「南湖」に向かいました。この公園は江戸時代に同じく松平定信によって作られたという、なんこ!(なんと!)日本最古の公園ということです。南湖を訪れた時のことについては、また別の場所でご紹介をしたいと思います。

 

 実はこの後が大変でした。以前はその地を訪れると、まず駅にある観光案内所に行き、そこで紙の地図をもらい、その地図を頼りに目的地を訪れたものです。今は地図アプリさえあれば、ほぼ全国どこでも案内してくれます。本当に便利な時代になりました。ただ時々、地図アプリはとんでもない経路を案内してくれます。今回も事前の調査では、南湖から東北本線の白河駅までは徒歩約30分の予定でしたが、地図アプリが示す経路を頼りに歩くと、とんでもなく遠回りをさせられてしまい、1HR以上もかかってしまいました。もし以前のような紙の地図を元にした歩きであれば、もっと早く到達していたに違いありません。これについても、別の機会で触れたいと思います。 

⇒関連記事「地図からMAPへ」

 

驚きの光景が

 

JR白河駅
JR白河駅

  1点、驚いたことがあります。白河駅に近づくにつれ、スナック街や飲み屋などが目についたのですが、ほとんどすべての店がコロナの感染防止を理由に閉まっていたということです。その時点で全国はもちろん福島県にも緊急事態宣言等は発令されていませんでした。従って自主的に店を閉めていたことになります。国や県からの補助もない状態で、コロナ禍を理由に店を閉めていたのでしょうか・・・。東京に住む者としては、複雑な気持ちになりました。

 

 

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<関連情報>

2022年夏ついに白河の関を越えた UPDATE!(22/8/25)

 2022年夏、ついに深紅の優勝旗が白河の関を越えましたね。報道等で白河の関跡を前にパブリックビューイングで応援している中継があり、そのフィーバぶりに思わず笑ってしまいました(もちろんいい意味で)。同時に、実は白河の関といえども福島県の最南端に位置しているわけではないので、もし白河の関跡より南にある福島県の高校が優勝したら、それでも「ついに白河の関を越えた」と言っていたのか、つい屁理屈を考えてしまいました。 

 

JRバス専用道(番沢にて)
JRバス専用道(番沢にて)2024年撮影

JRバス専用道の正体(UPDATE!(24/10/5)

 2024年の夏、BRT大船渡線、BRT気仙沼線に乗車した際にBRTについて調べる機会がありました。今回遭遇した白河市にあるJRバス専用道は、かつて白河~磐城棚倉を結ぶ「白棚(はくほう)鉄道」跡であることが判りました。広い意味でBRTに分類されるようです。白棚線は、その後、1944年には運休となりましたが、地元から復活を望む声があがり、1957年にバス専用道として開業したとのことです。自称鉄道ファンとしてこのことを知らなかったのは不覚でした。別の機会に白河に出向いた際、このBRTに乗り運転手と少しお話することができました。専用道の所有者はJR東日本なので、専用道を走行したり歩いたりすることはできないとのことです。ただ近くにゴルフ場があり、時々その帰りに(誤ってか故意か不明ですが)この専用道を走行する乗用車があるということでした。

⇒関連記事「BRT大船渡線」

 

是非、立ち寄りたい周辺のお勧めスポット(もちろん鉄道とバスと徒歩で)

小峰城

小峰城跡

盛岡城、会津若松城とともに東北三名城のひとつと言われている(注:文献により定義が異なる)。天守閣相当の御三階櫓は戊辰戦争の時に焼失されたが、1991年に復元された。小峰城歴史資料館が隣接されていて、小峰城の歴史が展示されている。JR白河駅より徒歩8分

 

南湖

南湖

身分の差を越え誰もが憩える「士民共楽」という理念を掲げて、1801年白河藩主松平定信により開園。日本最古の公園と言われている。JR白河駅より徒歩30分。