智恵子の生家 ~安達太良山の麓 二本松を歩く~【2016/8/11訪問】

<カテゴリ:自然・文化遺産>


十和田湖乙女の像
十和田湖乙女の像(1984年撮影)

   日本を代表する彫刻家である高村光太郎は、青森県十和田湖のシンボルである「乙女の像」の作者として有名ですが、同時に詩人・歌人としても有名です。そして高村光太郎がかの有名な「智恵子抄」で「あれが阿多多羅山(あだたら山)、あの光るのが阿武隈川」と呼んだ安達太良山は、福島県中央部に位置する秀麗な山で日本100名山にも選定されています。智恵子抄は高村光太郎の妻である智恵子が心の病を患った時に、元気だったころを思って作った詩と言われています。

 以前に安達太良山に登った時から、是非、この自然と文学の街である二本松市を訪れたいと思っていましたが、それが実現したのは2016年の夏でした。そしてその二本松の街を歩いていたときに出会ったのが、今回、ご紹介する智恵子の生家と智恵子記念館です。実は個人的にはこの種の個人にまつわる記念館にはあまり関心がなく、実際、今回も滞在時間30分の予定でしたが、そこで見た高村光太郎と智恵子の生涯に大変な衝撃を受け、滞在時間を大幅に超えて思わず見入ってしまったのです。是非、皆さんにも足を運んで頂きたく、今回ご紹介させてもらいたいと思います。合わせて二本松のお勧めスポットも紹介させて頂きたいと思います。

二本松駅
JR東日本二本松駅(2016年撮影)

 旅の起点は東北本線の二本松駅です。二本松市は二本松城を中心とした城下町で、福島県では若松城(会津若松市)、小峰城(白河市)とともに、日本100名城に選定されています。安達太良山や阿武隈川などの自然に恵まれ、また岳温泉などもあり、風光明媚な街として私のお気に入りの街です。そして2005年には、今回ご紹介する智恵子の生まれた安達町他、周辺の町を合併して新生の二本松市が発足して、大変大きな市になりました。

 さて智恵子抄の生家は、二本松駅から徒歩約25分のところにあります。通りには造り酒屋であった高村智恵子の生家が再現されており、裏庭には智恵子記念館が併設されています。

智恵子の生家
智恵子の生家(2016年撮影)

   実は高村光太郎や妻の智恵子について、ほとんど事前の知識もなく(高村光太郎については、あの有名な十和田湖の乙女の像の作者であること、智恵子については智恵子抄のモデルであること程度の知識です)、当日は智恵子の生家を訪問したのですが、そこで2人の波乱の人生を知ることが出来ました。その背景をご理解頂くために、簡単に高村光太郎と智恵子についてご紹介します。

 高村光太郎は、1883年東京生まれ、若い頃より彫刻での才能を開花させ海外にも留学していましたが、文学にも関心を寄せ、同人誌にも寄稿していました。一方、智恵子(旧姓:長沼智恵子)は、1886年に福島県安達郡の酒造家の長女として生まれました。長沼家は清酒「花霞」を醸造する酒造家として、結構な資産家だったようです。酒屋の長女として不自由なく暮らしていましたが、東京の大学に入ると、芸術特に油絵に興味を抱くようになりました。さらに卒業後は親の希望に反して東京に残り、洋画家としての道を選んで徐々に若き女性芸術家として注目されるようになったのです。そして1914年に高村光太郎と結婚することになりました。ただ結婚といっても実際同棲状態だったようで、籍を入れたのは智恵子が心の病になった後の1933年だったようです。今でこそ籍を入れる前に同棲というのはよくあるようですが、当時としては珍しかったのでしょう。

高村光太郎記念館
高村山荘(花巻市)(1986年撮影)

 しかしその後、不幸が重なります。智恵子はどうしても東京に馴染むことができず、元来、病気がちだったこともあり、1年のうち何度かは二本松の実家に帰っていたようです。また油絵もなかなか評価されなかったようです。

 さらに追い打ちをかけるように、父親の死、さらには実家が破産して一家は離散状態となります。これを契機として、かねてより病弱だった智恵子は心の病(統合失調症)になってしまったのです。発病後も、夫光太郎は温泉治療や海岸沿いに住居を移したりなど懸命の看病を続けます。智恵子は光太郎の勧めで、病室で紙絵を始めました。光太郎に見せたいために毎日紙絵を作ったようで、その数は千数百点にもなります。ただその甲斐もなく、病状は回復せず、1938年に智恵子はわずか55年の生涯を閉じることになりました。高村光太郎は智恵子の死後、1941年に生前の智恵子を偲んで、詩集「智恵子抄」を発表、晩年は花巻郊外に移住、その後、肺結核を患い、1956年に肺結核のため73歳で死去しました。

智恵子生家記念館(2016年撮影)
智恵子生家記念館(2016年撮影)

 実は訪問当日は、こういった事前の知識はほとんどなかったのですが、現地で知ることになり、正直、心が暗くなる思いがしました。同時に智恵子の生家と記念館を見てこれらの知識を得たあとに、もう一度、生家と記念館を見ることにしました。そのため予定の時間を大幅に超過したのです。

 あらためて智恵子抄等に書かれている内容を見ると、全く違う風景であったことに気付きます。例えば有名な一説「阿多多羅山(安達太良山)の上に毎日出てゐる青い空が智恵子のほんとの空だといふ」というくだりは、1度目は何気なしに読み飛ばしましたが、改めて2人の生涯を知った後に読むと、それは東京に馴染めない智恵子が故郷の空を懐かしく想う様子を偲んだ夫光太郎の心情であると思われます。

 また記念館には智恵子が病室で光太郎のために作った紙絵が展示されていますが、これも改めて見ると、智恵子のあまりにも繊細な感性と光太郎への感謝の気持ちが満ち溢れた作品であることを感じとり、思わずしみじみとした気持ちになってしまいました。正直な話、個人の記念館でこれほど心を打たれたのは初めてです。

 これらの作品が、智恵子の生家の裏に酒蔵をイメージした記念館の中に展示されています。なお生家の2階は非公開ですが、時々、特別公開をしているようです。

 是非、皆さんも智恵子が愛した安達太良山と本当の「空」、そして二本松の街並みを歩いてみては如何でしょうか。


<関連情報>

①是非、立ち寄りたい周辺のお勧めスポット(もちろん鉄道とバスと徒歩で) 

塩屋崎灯台

大山忠作美術館(2016年撮影)

二本松市出身の日本画家。幽玄を思わせる画風が特徴。女優一色采子の父としても知られている。二本松駅から徒歩1分。

アクアマリンふくしま

霞ケ城公園(2016年撮影)

日本の100名城(財団法人日本城郭協会)に選定された二本松城跡に整備された公園。日本さくら名所100選(公益法人日本さくらの会)にも選定されている。二本松駅から徒歩20分

翠ケ丘公園

岳温泉(2015年撮影)

安達太良山の麓に拡がる温泉郷。昔ながらの風情が残っている。また二本松駅よりバス路線が通じているのもうれしい。バスで約20分

 


②智恵子生家