忘れられた最強の秘湯 田代温泉 ~八甲田雪中行軍の悲劇の舞台~【訪問日:85/6/28】


 最初にお断りします。今回ご紹介する田代温泉(田代新湯と田代元湯)は、私がこれまでに出会った秘湯中の秘湯としてご紹介するものですが、今では廃業されてしまいました。またそのアプローチも途絶えており、非常に危険な状態になっています。決して訪れることがないようにお願いします。今回は少しの間、秘湯談義にお付き合いください。

水芭蕉群落
水芭蕉群落(1987年撮影)

 本州の背骨とも言える奥羽山脈の最北端にある八甲田山は、かつて陸軍の雪中行軍演習が行われた際、210名の参加者のうち199名が豪雪のため遭難して命を落としたという史実があるため、悲劇の山というイメージがあります。確かに冬の一時期は登山が危険な時期もありますが、それを除けば極めて穏やかな山で、四季おりおりの表情を登山者に見せてくれる素晴らしい山です。私が丁度、東北の旅を青森から始めたこともあり、最初の頃はほぼ毎月のように八甲田山に登山していました。そして今回ご紹介する秘湯田代温泉は、その八甲田山の懐に抱かれた静かな温泉でした。

田代元湯
田代温泉田代元湯(1985年撮影)

 昔から「秘湯」「秘境」「廃線跡」といった少しマニアックな場所を一人旅するのが趣味でした。東北地方に通うようになって40年近い月日が経ちましたが、その中で私が遭遇した最強の秘湯が青森県にある(いやあったといった方が正しいでしょう。これについては後ほど記述します)「田代温泉の田代新湯」、そして岩手県にある「見立温泉」です。秘湯を極めた方から見れば、もっとすごい秘湯があるとおっしゃる方もおられると思います。実際、私もいろいろ情報を調べたり、テレビの秘湯番組などを見ると、まだまだ到達していない秘湯がたくさんあるんだなと思います。ここでは少なくともこれまでに実際に歩いて出会った最強の秘湯、秘湯中の秘湯をご紹介させて頂きます。

 まずここでいう最強の秘湯の条件は「①湯小屋・脱衣場がないこと」、「②歩いてしかいけない」という2点です。青森県の田代温泉の田代新湯、岩手県の見立温泉のどちらもその条件を満たした最強の秘湯と言えると思います。特に見立温泉にいたっては最寄りの駅である北上線の陸中大石駅(現在の「ゆだ錦秋湖駅」)から徒歩2hrといった具合に、往復するだけで1日を要する究極の秘湯です。機会あれば見立温泉についてもご紹介させて頂きたいと思います。

後藤伍長銅像
後藤伍長銅像(1985年撮影)

 まず青森県の田代温泉です。実はこの田代温泉こそが、かつて行われた雪中行軍の目的地点だったのです。少し振り返ってみたいと思います。

 時代は日露戦争開戦の2年前の明治35年に遡ります。ロシア軍が陸奥湾に上陸した時を想定して、陸軍第八師団青森第五連隊は、厳冬期であるにも関わらず山行きの装備も少ない状態で、かつ雪山の経験者が少ないという人員構成で無謀な訓練を行ったのです。案の定、指揮系統の乱れなどにより3日間近辺を彷徨ったあげく、田代温泉のわずか手前2kmのところで力が尽きてしまい、多くの命が失われてしまいました。その時、後藤伍長は救援の目印となるべく、凍死寸前の状態で立ったまま絶命したことは有名な話です。そしてこの雪中行軍の目的地が今回ご紹介する田代温泉でした。行軍のうち2名だけがなんとかこの田代温泉に辿り着いたようです。

箒場岱
箒場岱(1985年撮影)

  さてこのような悲劇の舞台となった田代温泉ですが、このあたり一帯は「裏八甲田」と呼ぶこともあるようです。「裏」という言葉の響きがよくないのですが、いまやメインの観光ルートとなった青森駅から奥入瀬渓流経由で十和田湖に通じるコースに対して、「裏」と呼ぶようです。ただこのあたりも、「グダリ沼」、「田代岱」、「箒場岱」などといった「表」に劣らない素晴らしい景色を見せてくれています。残念なことにバス路線がなくなってしまいました。私が出向いた頃には、まだこの裏八甲田にも青森市営のバスが運行されていましたが、何時の時点から廃線となったようです。そのためこの裏八甲田にはなかなかバスと徒歩だけでは到達できないのですが、私が帰りに通ったアプローチを使えば、片道2時間近くかかりますが、なんとか歩いては行けます。是非、機会あればご紹介させて頂きたいと思います。

田代元湯(田代温泉)入口
田代元湯(田代温泉)入口(1985年撮影)

  さてその日、「箒場岱」といった裏八甲田一体を見終えた後、いよいよ田代温泉に向かいます。入口は県道40号線沿いにあり、そこから山道になります。山道を少し歩いて赤い橋を渡ると、田代温泉に到達しました。ここの温泉は約三百年前に青森在住の漁師藤助が発見したところから「藤助の湯」とも呼ばれていたようです。かつては鉱山者の温泉として栄えており、「千葉元湯」と「やまだ館」の2つの温泉があったようですが、私が出向いた頃には「千葉元湯」は既に廃業しており、「やまだ館」だけが営業していました。そしてこの「やまだ館」はなんと電気も電話もない一軒屋でした。電気が通っていないランプの宿はよくありますが、電話もないというのは初めてです。ちなみに電話もない状態でどのように予約をするかというと、青森市内に詰所があり、そこで予約の電話を受け付けると、その内容を車と徒歩を使って温泉まで伝えに行ったようです。従って予約は3日ほど前にしてもらえると確実ですと宿のご主人さんはおっしゃっていました。もちろん携帯もない時代です。

田代温泉やまだ館
田代温泉やまだ館(1985年撮影)
田代温泉やまだ館湯小屋
やまだ館湯小屋(田代元湯)(1985年撮影)

 この田代温泉には、旅館に併設した「田代元湯」と旅館から約500m離れたところにある「田代新湯」があります。そしてこの「田代新湯」こそが、「歩いてしか行くことができない」「湯小屋や脱衣所もない」という秘湯中の秘湯なのです。

田代新湯
田代新湯(1985年撮影)

 まず田代元湯の湯小屋でうたせ湯などの温泉につかります。そして駒込川沿いに約500mほど山道を歩いて行くと、今回の目的地田代新湯がありました。写真をご覧ください。なんと山道沿いに無造作に湯船が設置されています。もちろん脱衣所もありません。これぞ求めていた秘湯中の秘湯です!一応、人がくることを気にしながら裸になり、早速、湯船につかりました。湯船はかなりぬるめでしたが、少し歩いてきたということもあり丁度いい湯加減でした。底の方は苔でぬるぬるした感じでした。ただ私の場合、基本は1人旅ですので、また特に当時は自撮りをするという発想もありませんでしたので、残念ながら湯船に入っている写真はありません。

駒込渓流
かつてのロケの後(1985年撮影)

 たっぷりと秘湯を味わった後は、元の道を戻って帰路につきました。幸い、入浴中は誰も通る人もありませんでした。なお帰りは残念ながらバスの便が出た後でしたので、やむを得ず約90分ほど歩いて「表八甲田」のメインの路線沿いにある萱野茶屋まで歩いて行きました。

 その後ですが、一軒残っていた「やまだ館」も1995年に廃業となり、そのあとは道が荒れ放題になり、旅館も雪のために潰れてしまったようです。さらに途中にあった橋も崩壊してしまい、いまや実質到達不可の温泉になってしまいました。露天風呂は排水が悪いためヘドロと藻が一杯のようです。加えて人が来なくなったため、あたり一帯はツキノワグマやマムシ、ヤマカガシ、スズメバチ、アブなどの楽園になってしまっているようです。繰り返しとなりますが、大変に危険です。決して訪れることがないようにお願いします。

駒込渓流
駒込渓流(1984年撮影)

  なおこのあたり一帯は、私が出向いた1984年以前よりダムに沈むという話が持ち上がっていたのですが、未だにダムは完成していないようです。ホームページで調べて見ると、着工が1982年、そして完工がなんと2031年になっています。ほぼ50年です!ダムの建設とはこんなに期間を要するものでしょうか。50年も経過すると、治水といった当初の目的も変わってきているのではないでしょうか?このような素晴らしい自然に恵まれた温泉や自然などが、一時期の事情により失われていくのは悲しい気持ちになります。

 八甲田山の悲劇の舞台となった田代温泉一体は自然に溢れた素晴らしいところでした。特に途中の駒込川は、奥入瀬渓流にも劣らない素晴らしい渓流でした。渓流釣りの場所としても有名なようです。私が出向いた頃は丁度新緑の時期ということもあり、緑の眩しさが記憶に残る旅となりました。