盛岡の街並みを歩く(1.鉈屋町とその界隈)~NYタイムズ誌にも選ばれた街~

<カテゴリ:文化・歴史>


 岩手県の県庁所在地である盛岡市は、盛岡城を中心とした南部藩の城下町として発展してきました。今では岩手県の政治、経済、交通の中心のみならず、北東北の中核都市として発展を続けています。かの明治の天才詩人であり盛岡出身の石川啄木は、「美しい追憶の都」と称しています。今でも城下町風情が息づき、北上川、岩手山などの石川啄木が愛した自然、赤レンガの旧銀行などの旧跡、さんさ踊りに代表されるお祭り、石割桜などの名所、盛岡三大麺を中心とした食文化など、魅力一杯の街です。

盛岡駅
盛岡駅(2019年撮影)

 そしてご存知の通り、23年1月12日にアメリカのニューヨーク・タイムズが「2023年に行くべき街52選」の第2位に盛岡市が選ばれたました。同紙は盛岡市のことを「大正時代に建てられた和洋折衷の建築物が街中に残る歩きやすい街、東京からも新幹線ですぐ、混雑とは無縁の歩きやすい街」と評しています。まさに「鉄道とバスと歩きで東北へ」としても言いたくなるような称賛の言葉を語ってくれています。また「モダンなホテル、歴史ある旅館、曲がりくねった川」等を魅力として挙げています。さらに幾つかのオススメスポットも紹介されています。ちなみに「2023年に行くべき街52選」の第1位がロンドン、第19位には福岡市が選定されており、日本の都市で取り上げられているのは、この盛岡市と福岡市だけです。

石割桜
石割桜(1985年撮影)

  「東北を歩く」としてもこの魅力にあふれた盛岡市について、実際に訪れた中からご紹介したいスポットを取り上げてみたいと思います。盛岡市の中心街は盛岡城跡、石割桜に代表される紺屋町界隈ですが、このあたりは何時も大変な賑わいとなっています。そこで少し駅から遠くなってしまいますが、静かに盛岡の街並みを楽しむことが出来る箇所をご紹介したいと思います。なお私が超お薦めの夏祭り「盛岡さんさ踊り」については、別項にてご紹介させていますので、ご参照頂ければ幸いです。

 ただあまりにもご紹介スポットが多すぎるので、何回かにわけてご紹介したいと思います。今回は1回目ということで、「鉈屋(なたや)町と周辺地域」をご紹介させて頂きます。

 鉈屋町とは盛岡市の東部に位置しており、盛岡駅から徒歩25分くらいの距離です。江戸時代から明治時代にかけて、北上川舟運の起点、奥州街道の玄関口として重要な場所でした、また沸水にも恵まれていました。盛岡市のホームページでは以下のように紹介されています。

鉈屋町の街並み
鉈屋町の街並み(2023年撮影)

 「京都の富豪鉈屋長清が当地に来て、鉈屋山菩提院という寺を建立したことに由来する。菩提院は後に内加賀野に移されたため、昔はこの寺院の前も鉈屋町と称し、2つの鉈屋町が存在したこともあったが、文化9年(1812年)に改められて、当地鉈屋町として城下の一町とした。また当地は江戸時代から良質の湧水が豊富な地域で、酒・味噌・醤油などの醸造業が盛んであった(盛岡市ホームページ)」

 このように鉈屋町の魅力は、古い下町の建造物と豊富な湧水の街並みです。私が実際に足を運んだ中から少し隠れたお勧めスポットをご紹介します。


下町資料館
下町資料館

下町資料館

 下町資料館では、江戸時代からの下町の暮らしについて、生活用道具や古書など約2000点が展示されています。資料館としては珍しく土蔵造りになっており、北上川に近いこともあり、内部は床を高くして湿気を防ぐための換気等、浸水と湿気を防ぐための通気を考えた造りになっています。関係者には大変に失礼ながら、あまり期待をせずに訪れたのですが、豊富に展示されている物に思わず見入ってしまいました。また職員との周辺の見所などについてのお話も楽しく、大変な掘り出し物でした。

 

大慈清水
大慈清水

大慈清水

 大慈清水は、近くにある青龍水とともに、江戸時代から鉈屋町を中心とした下町界隈の生活用水として使われてきました。また周辺にはこの水の恵みを受けて製造している造り酒屋やこんにゃく屋、ソバ屋、豆腐屋などが数多く点在しています。ここでは湧水が、写真の右から「飲み水」、「米磨ぎ水」、「洗い物」、「足洗い」といった具合に、用途に応じて4つに区分けされていました。上下水道が整備された現在でも、多くの市民に利用されています。実際、私が訪れた時も何人かの方が水を汲みに来ていました。

 

神子田の朝市
神子田の朝市(9:30撮影)

神子田(みこた)朝市

 鉈屋町内ではありませんが、鉈屋町の近くに盛岡を代表する朝市である神子田の朝市があります。通常の朝市は土日のみとか開催日が限定されていますが、この神子田の朝市は毎朝早朝から開催され、年間300日以上営業しているという、全国的にも珍しい朝市です。地元で採れた農作物を生産者から直接安く購入できることに加えて、地元の方と会話をしながら買い物や食事をすることが出来るため、地元の方だけではなく、全国から多くの観光客が訪れています。ただし朝は4時頃から始まり、9時前には多くの店が営業を終了するため、訪問する時間帯には注意が必要です。実際、私が訪れたのもコロナ禍の最中ということもあり、混雑を避けるため、9時過ぎでしたが、写真の通り既に多くの店が営業を終了していました。ちなみにその日は名物の「ひっつみ」を朝食として食べました。ご存知の通り、「ひっつみ」とは小麦粉を練って伸ばし湯がいたものを醤油汁で食べる岩手県の伝統料理です。大変に絶品のお味でした。

 

十六羅漢
羅漢像に囲まれて遊ぶ子供たち(羅漢公園にて)

十六羅漢

 ここも鉈屋町内ではありませんが、鉈屋町の近くに十六羅漢像があります。案内によると、「江戸時代に餓死者の供養のため、天然和尚が祇陀寺に発願し宗龍寺境内に1894年に完成したが、後に宗龍寺は焼失し石仏だけが残った」とあります。廃寺後は公園として整備され、十六羅漢及び五智如来5体が設置されており、盛岡市の有形文化財に選定されています。SNSなどでは、羅漢像に囲まれて公園内で子供達が遊ぶ姿は、結構、異様であるという投稿が見受けられますが、私が訪れた際にはそれほどの違和感は感じませんでした。むしろそれぞれの石仏が迫力満点で、そちらの方が印象に残っています。

 

南昌荘
南昌荘より庭園を望む

南昌荘

 これも鉈屋町内ではありませんが、鉈屋町の近くに南昌荘があります。盛岡出身の実業家である瀬川安五郎氏が、明治18年頃に邸宅として建てたものです。盛岡市の指定保護庭園・景観重要建造物に指定されています。特に庭は国登録記念物に指定されています。

 ちなみに南昌荘という名前は、瀬川安五郎氏から4代目にあたる赤澤多兵衛氏が、当時、屋敷から南昌山が見えたことから名づけられたようです(「南昌荘」のパンフレットより)。南昌山というのは、盛岡の南西部に拡がる紫波山脈の中央部に位置する山です。山好きの知り合いから、この「南昌」という名前の由来が、南昌山の頂上に書かれていると教えて頂きました。それによると「元禄16年南部藩主南部信恩(のぶおき)公が儒学者根市恭斎に命じ南部繁盛(繁昌)を祈願して命名した」とのことです。

 そのような由緒ある南昌荘の二階から眺める庭は癒されること間違いないと思います。また春のひな祭りから展示会、お茶会、俳句会などの催しもあるようです。有料ではありますが、御茶菓子と抹茶が出るので、のんびりと庭を眺めながら静かな時間を過ごしてみては如何でしょうか。


<参考情報> 

①盛岡市鉈屋町周辺