碧祥寺のマタギ資料館とお米地蔵~西和賀の街を歩く~(1988年7月訪問) 

<カテゴリ:歴史、文化>


碧祥寺
碧祥寺(1988年撮影)

 ご存知の通りマタギは主に東北地方や北海道の山間部において、伝統的な手法・規律を守って集団で狩猟を行っている人々を指しています。獲物としては熊が代表的ですが、熊以外にもカモシカやウサギなども狩猟の対象となっています。「山は山神様が支配するところであり、熊は山神様からの授かり物」という考えのもと、必要以上に乱獲することなく厳しい規律を課すことにより独特の文化を築いてきました。

 東北地方では秋田県の阿仁地区のマタギが有名ですが、阿仁地区以外にも青森県の白神山地や岩手県の和賀山地におけるマタギも有名です。ただ最近では後継者不足に悩まされているようで、1つの集団の単位でもある10人を集めるのが大変のようです。その意味で伝統的なマタギの文化を後生に残すことは大変に重要なことだと思えます。いろいろ調べたところ、このようなマタギの伝統と文化を残す資料館としては、秋田県の阿仁地区にあるマタギ資料館と、そして今回ご紹介する岩手県西和賀町碧祥寺にあるマタギ資料館が有名のようです。特に碧祥寺のマタギ資料館は、全国でも有数の規模であると聞きました。是非、伝統的なマタギ文化を知りたいと思い、でかけました(なお秋田県のマタギ資料館については別項をご参照頂ければ幸いです)。 

碧祥寺
碧祥寺(1988年撮影)

 岩手県の中西部、秋田県の県境に位置する和賀岳は、日本100名山には選定されていませんが、どっしりとした山容は王者の風格があり、そしてその懐は奥深いため麓からは頂上が見えないほどです。ブナの原生林がほとんど手付かずの状態で残されており、東北随一の秘峰であると言っていいと思います。そしてその懐の深さのために動植物の楽園となっており、昔からマタギの活躍する舞台でした。今回ご紹介する碧祥寺は、和賀岳の麓の西和賀町にあります。ちなみに西和賀町は東京23区とほぼ同じ広さでありながら、そのほとんどが山林になっており、自然豊かな町です。私がバスで出向いた時もカモシカが道路を横断したため、バスが急停車しました。また名だたる豪雪地帯としても知られています。

陸中川尻駅
陸中川尻駅(1988年当時)

  少し余談になりますが、この西和賀町は平成の市町村合併により、2005年に湯田町と沢内村が合併して生まれた町です。旧沢内村は1961年に全国に先駆けて乳児の医療費や老人医療費の無料化を実施、1963年には全国で初めて乳児死亡率ゼロ(1歳未満の乳児の死亡がゼロ)を達成したという福祉の町としても知られた町でした。

 

マタギ資料館に向かう

 

 さて旅の起点は北上線の「ほっとゆだ駅」です。ちなみに当時は「陸中川尻駅」という駅名で非常にローカル感満載の駅でしたが、その後、駅に隣接して温泉施設「ほっとゆだ」が開業され、それに伴い駅名も「ほっとゆだ駅」に改称されました。この温泉施設「ほっとゆだ」は、浴場の壁に列車の接近を知らせる信号機が設置されていて、通常は「青」色ですが、列車到着30分前になると「黄」色、15分前になると「赤」色に点灯されます。よく旅の番組で登場するシーンでも有名です。

ほっとゆだ駅(1991年撮影)
ほっとゆだ駅(1991年撮影)

 私が出向いた時には、陸中川尻駅(当時)と盛岡駅を結ぶ路線バスがあり、これを利用して盛岡側から下ってきました。最近のバス事情を調べたところ、この路線はまだ存続しているようです。またほっとゆだ駅から町民バスも出ているようです。ほっとゆだ駅からバスで約20分のところにある「太田」というバス停が碧祥寺の最寄りとなります。

 碧祥寺は、真宗大谷派に属し、今から凡そ380年前の寛永2年に多田禅正源延清という武士が出家して、沢内村前郷に草庵を結んだのが始まりとされています。その後、3度の落雷があり、寛文3年に現在の地に移転されたようです(碧祥寺のマタギ博物館のパンフより)。

マタギ収蔵庫
マタギ収蔵庫(1998年撮影)

 さてマタギ博物館はその碧祥寺の境内に隣接されていました。建物は3つの資料館と1つのマタギ収蔵庫に別れていて、民間信仰、部具、農機具、マタギコレクションなど1万数千点に及ぶ展示が所狭しと並べられており、見応え十分でした。これらはいずれも以前の沢内村の村長太田祖電住職が個人的に収集したと言われています。特にマタギ狩猟用具と丸木具は国の重要有形民俗文化財にも指定されています。この丸木舟は、杉の一本の木をくりぬき百年ほど前に川舟として使われたもので、現存するものとして国内唯一のものとされています。これを見るだけでも一見の価値があると思います。当初は1時間の滞在時間の予定でしたが、あまりにも多くの展示物のため、3時間近くも時間を費やしてしまいました。

お米地蔵
お米地蔵(1988年撮影)

お米地蔵に向かう

 さてマタギ資料館を見終えた後、碧祥寺の隣に浄土宗の浄円寺があり、その境内に大きな地蔵が祀られていることに気付きました。「およねの地蔵尊」と呼ばれて「沢内甚句」にもうたわれている悲劇の小町娘と祀ったもののようです。江戸時代の「宝暦」「天明」「天保」といった大飢饉が発生した際に、年貢を納めることができないお百姓さんのため、沢内村北新山部落の吉右衛門の娘「およね」が犠牲になって殿様へ身を献じたと伝えられています。事実はよくわかりませんが、江戸時代の一時期、確かに度重なる飢饉が発生したことは事実です。なお江戸時代に発生した飢饉で亡くられた方の霊を供養するために建てられた「叢塚」について別ページでご紹介していますので、合わせてご参照頂ければ幸いです。

 マタギ博物館と隣接するお米地蔵尊を見終えた後、バスで陸中川尻駅(当時)経由で北上線で北上駅へ行き、帰路につきました。

 

 是非、伝統的なマタギの文化や風習を知って頂くためにも、国内最大級と言われているマタギ資料館を訪れてみて頂くことをお勧めしたいと思います。

 


<関連情報>

①旅程※時刻は訪問当日の時刻表です。もし訪れられる場合は最新の時刻表をご参照頂きますようお願いします。

※ほっとゆだ駅からも町民バスが出ているようです

【1988/7/24】

盛岡(10:20)=(岩手県バス)=大田(12:08)~碧祥寺、お米地蔵

太田(15:08)=(岩手県バス)=湯本温泉(15:25)(16:00)=(岩手県バス)=陸中川尻駅(16:13)(16:25)=(北上線)=北上駅(17:17)

 

②是非、立ち寄りたい周辺のお勧めスポット(もちろん鉄道とバスと徒歩で)  

普門寺(1990年撮影)

ほっとゆだ(1991年撮影)

1989年に開業した温泉施設。ほっとゆだ駅に隣接。浴場の壁に列車の接近を知らせる信号機が設置されていて、通常は「青」色であるが、発車30分前になると「黄」色、15分前になると「赤」色に点灯される。ほっとゆだ駅から徒歩0分

蛇が崎

湯本温泉(1988年撮影)

正岡子規が宿泊したことでも知られている温泉郷。湯田は「田の中から湯が沸き出た」ことから由来している。ほっとゆだ駅から徒歩50分

 


③碧祥寺