盛岡の街並みを歩く(2.上盛岡駅周辺)~NYタイムズ誌にも選ばれた街~

<カテゴリ:文化・歴史>


 前回に引き続き、NYタイムズ誌に「2023年に行くべき街52選」に選ばれた盛岡をご紹介する第2弾です。第1弾とし鉈屋町とその界隈についてご紹介していますので、合わせてご参照頂ければ幸いです。

上盛岡駅
上盛岡駅(2023年撮影)

  盛岡市の中心地は盛岡城跡を中心とした紺屋町界隈に集中しています。ただこのあたりは何時も観光客で賑わっています。そこで静かな盛岡の街並みを楽しみたい場合は、第1弾でご紹介した鈎屋(なたや)町界隈、もしくは今回ご紹介する上盛岡駅周辺をお勧めしたいと思います。ただ観光ガイドでは「上盛岡駅周辺」という名前は出てこないと思います。私が勝手につけた名前です。今回ご紹介する箇所は、是非、皆さんにも訪れて頂きたいと思うのですが、徒歩だけでは盛岡駅から30~40分近くかかります。ガイドによるといずれも最寄り駅はJR山田線の上盛岡駅、もしくは盛岡駅からバス15分となっています。実際、上盛岡駅からスタートすると、徒歩20分以内で済みます。ただこの上盛岡駅はJR山田線の駅で非常に便数も少なく、私が訪れた昼間では、なんと7時間待ちでした。一方、盛岡駅からバス15分というのは、一見、相当の距離のように思えますが、バスは混雑した市内を走るということもあり、直線距離で歩けばそれほど時間は要しません。一応、北盛岡駅からの徒歩時間を記述しますが、折角の機会ですので、是非、皆さんも盛岡駅から盛岡の街並みを散策しながら向かって頂くことをお勧めします。


旧盛岡高等農林学校本館(宮沢賢治の母校) ~上盛岡駅から徒歩10分 お勧め!

旧盛岡高等農林学校本館
旧盛岡高等農林学校本館

 この建物は我が国最初の高等農林学校として設立され、戦後、学制改革により岩手大学が発足後、大学本部として使われていました。その後、岩手大学の本部が現在地に移転後、改修が行われ、農業教育資料館として使われています。平成6年には、国の重要文化財に指定されました。現在は岩手大学農学部附属農業教育資料館として、岩手大学農学部の構内に設けられています。

 写真をご覧頂ければおわかりのように、木造二階建ての欧風建築物となっており、明治の形を伝える国立専門学校の施設として現存する数少ない遺構の1つのようです。

旧盛岡高等農林学校本館(北水の池)
旧盛岡高等農林学校本館(北水の池)

 そしてこの建物が貴重なところは、あの宮沢賢治が在籍していたことです。宮沢賢治は大正4年~9年にかけて、盛岡高等農林学校に在籍しており、地質学、土壌学の権威者の指導を受けて、幾つかの研究成果を残しました。特に酸性土壌の改良や冷害克服に研究を費やしましたが、実践半ばで倒れ、その願いを果たすことができませんでした。

 当時の学校建築の歴史を知る上でも、また宮沢賢治を知る上でも大変に貴重な建築物です。岩手大学の構内に入ってからの案内が少ないため、少し場所がわかりにくいかもしれませんが、私が訪れた時は、日曜日にも関わらず会う人も少なく、静かな時間を過ごすことができました。また近くには北水の池という小さな池があり、家族連れの憩いの場にもなっていました。

 

盛岡中央公民館と2つの重要文化財 ~上盛岡駅から徒歩20分~

盛岡中央公民館
盛岡中央公民館

 ここ盛岡市民センターはどこの町にもある普通の市民センターなのですが、ここにはなんと国の重要文化財が2つも設置されています。それが「南部伯爵家別邸」と「旧中村家住宅」です。

 このあたりは江戸時代から盛岡城で使用する薬草を栽培していたため、御薬園と呼ばれていたそうです。その後、御薬園は廃止され大規模な庭園が造られました。江戸後期には藩校が設置され、教育の場にもなったようです。現在の建物は南部伯爵家別邸として造園されたものです。口コミにも書かれていましたが、無料でこのような立派な庭園を見学できる設備は貴重で、市民の憩いの場になっています。

 一方、旧中村家住宅は、江戸時代から城下町の中でも指折りの大きな商家で、呉服や古着を主に商っていました。建物はたびたび改築や修理が行われ、現在の母屋は1861年に造られたものです。家の中は戸棚や押し入れが多く、江戸時代末期の特色がよく残されています。通常は閉まっていますが、市民文化会館の職員にお願いすれば開けてもらえます。

旧中村家住宅
旧中村家住宅(重要文化財)
南部伯爵家別邸
南部伯爵家別邸(重要文化財)

報恩寺と五百羅漢 ~北盛岡駅から徒歩12分~

報恩寺
報恩寺

 報恩寺は、1394年に創建されたとされる由緒ある曹洞宗の名刹です。ここの見所はなんといっても五百羅漢像です。この五百羅漢は1731年から京都の9人の仏師により作られたとされており、すべて木造り、漆塗りです。実際は500ではなく499体とのことですが、木彫りだけでこれだけの数が残っているのは全国的にも珍しいようです。盛岡市指定有形文化財にもなっています。

 ちなみに五百羅漢とは、お釈迦さまの死後、あちこちから集まってきた五百人の聖者のことです。盛岡市内には十六羅漢がありますが、仏教では「阿羅漢」という称号で修行をして悟りに達した人を称え、そのうち仏法を護持することを誓った16人を「十六羅漢」、初回の仏典編集に集まった五百人を五百羅漢というようになったと言われているそうです(ホームページより)。

 一体一体にはそれぞれ豊かな表情をしており、居眠りをしているもの、とぼけた表情など、見ているだけで楽しくなります。また中にはマルコポーロやフビライハンの像と言われるものもあり、是非、探してみては如何でしょうか。

白兎駅
五百羅漢像(左がマルコポーロ、右がフビライハンと言われている)
五百羅漢像
五百羅漢像

三ツ石神社と鬼の手形 ~北盛岡駅から徒歩14分~

三つ石神社
三つ石神社

 ここは私がお勧めする盛岡の夏祭りさんさ踊り発祥の地と言われています。さんさ踊りの歴史は、藩政時代よりの三ツ石伝説に由来しています。その昔、南部藩盛岡に鬼が現れ、町の人々を困らせていました。困ってしまった町の人々は、盛岡近辺にある三ツ石神社の神様に悪魔の退治をお祈りしました。それを聞いた三ツ石神社の神様は、鬼を捕まえ、二度と悪いことをしないように、境内にある大きな石に鬼の手形を押させたとのことです。鬼が退治され、町の人々は喜び、この三ツ石の周りを踊ったのが、さんさ踊りの起源とされています。現在、三ツ石神社には、その大きな石(岩)があり、毎年、さんさ踊りが行われる前の7月にはさんさ踊りの奉納がされます。ただ私も三ツ石神社には何度か訪れましたが、どこに手形があるのかは、よくわかりませんでした。ちなみに、この「岩」に「手形」、これが岩手の由来であるともいわれています。 

鬼の手形
三つ石(鬼の手形)
鬼の手形
三つ石(鬼の手形)

盛岡天満宮と狛犬 ~上盛岡駅から徒歩33分~

 石川啄木も散歩コースにしていた盛岡天満宮は、全国どこにもある天満宮すなわち学問の神様、菅原道真公が祀られているのですが、実はここには非常に珍しいものがあります。その1つが狛犬です。下の写真を見て頂ければおわかりのように、漫画にも出てきそうな人面のような非常にユニークな姿をしており、その姿を見ようと訪れる人もいるようです。

石割梅と銭湧石
石割梅と銭湧石

 この狛犬は、盛岡天満宮の近くに住んでいた高畑氏という方が自身の病気平癒願いが叶えられたことに感謝して明治36年に菅原道真の千年祭に奉納したと言われています。どこかモアイ像にも出てきそうなユニークな顔をしていますね。それぞれの台座には石川啄木の詩が書かれています。ちなみに石川啄木は、このユニークな狛犬のことを、小説「葬列」に記述しています。

 そしてもう1つユニークなのが、石割梅です。盛岡市内には石割桜という有名な観光地がありますが、ここも同じように梅の木が石を割って出ており、石割桜に劣らず非常にユニークな光景です。そういえば盛岡には、先にご紹介した三つ石といい、石に関わる名所が多いようです。

 なおこの盛岡天満宮の近くに、盛岡八幡宮があり、最初、私は間違えて八幡宮に行ってしまいました。くれぐれもお間違いないようにお願いします。また上盛岡駅より徒歩33分と少し遠いです(盛岡駅からも徒歩35分)。案内によると盛岡天満宮の最寄りの駅は上盛岡駅よりさらに1つ先の山岸駅となっていますので合わせてご参考になさってください(山岸駅より徒歩24分)。ただ前述の通り、JR山田線の便数が少ないので、やはり盛岡駅からの徒歩をお勧めします。 

盛岡天満宮
盛岡天満宮
盛岡天満宮の狛犬
盛岡天満宮の狛犬(向かって左側)
盛岡天満宮の狛犬
盛岡天満宮の狛犬(向かって右側)


<参考情報> 

旧盛岡高等農林学校本館(盛岡北周辺)